書店の経営が厳しくなれば、出版社もおかしくなるだろう。新聞なんかも同じことだろうが、活字文化が変わりつつあることだけは間違いない。昔、広告稼業なので出版社の編集者から、映像文化と活字文化の違いについて講釈をよく聞かされた。曰く、映像は確かに分かり易いが、受け手の思考に結びつきにくい。活字は脳内で思考回路を経るので受け手に対するインパクトが強いのだ。広告効果を強調したくて言っている訳だから、どこまで本気に受け止めていいやらではあるが、影響に違いがあることだけは確かだ。
活字媒体が衰退していく原因がどこにあるか分からぬが、テレビやパソコンの影響は相当にあるのも確かだろう。しかしそのテレビやパソコンのインターネットにしても、どこで衰退しはじめるか分かったものではあるまい。序でに思い出したが、我々が大学を卒業する頃は、文学部学生の優秀な連中は映画会社を希望していたように思う。次いで新聞社、出版社、放送局(テレビ局ではない)てな順番だったような気もする。当時の映画産業は第3次産業の筆頭にいたような気もするが、今やその影も形も無いに等しい。
正に祇園精舎の鐘の声だ。言っちゃ悪いが栄枯盛衰は世の倣いで、どうしようもないのではと思ってしまう。東芝も松下電器(パナソニック)グループもソニーも日立も三洋やシャープ程ではないにしろ、辛うじて生き残っているが、正直なところ気息奄々で昔日の面影は偲ぶべくも無さそうだ。と言っても、日本が急に潰れる訳でもないよ。どうせ野党共に、今後の成長産業が何であるかも分からないのだから、ここは一番腰を据えて、景気なんかどうでもいいから協力して教育にでも力を入れてみてはどうだろうか。
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