2018年6月2日土曜日

嘘と真

道徳教育は移行期間を経て小学校では今年度から、中学校でも来年度から完全実施となる。幸い小生は修身の授業も道徳の授業も受けずに成人となったので、生活態度は今でも相当問題があろうと考えている。事実、義務教育時代から高校まで学力無き事もさることながら生活態度面では先生に相当迷惑を掛けている。要するに昔から殊更修身だの道徳だのと騒がなくても、先生方は生徒の生活態度に目配りしてくれていたものだ。

現代はどうか知らぬが、読み書き算盤だけ教えれば済むと考えていた風情の先生は一人も思い浮かばない。現代でも教職員のマインドに大差はあるまい。むしろ幾ら評価の必要が無いとは言っても正式教科となったことに戸惑いを感じている先生が大半であろう。指導要領も分からないので的外れなことを言いかねないが敢えて書きたい。昔は教育勅語があったこともあり、道徳の規準見たいものが国民に共有されていたような気がする。

即ち、古来中国朝鮮を経由して受け継がれてきた「親に孝」が最優先徳目だっただろう。これが現在若干薄れて必ずしも最優先とならなくなっているかもしれぬが、それはそれで仕方ない。昔も今も変わらぬ徳目の一つに「正直」があるが、これから学校ではこれをどう取り扱うのだろうか。指導者に是非聞いてみたい。家内の遺品にことわざ辞典が3冊もあったので調べてみた。どれもトップに「正直の頭に神宿る」を置いている。英語も早くから「Honesty is the best policy」を教えるらしいし、ジョージワシントンの桜の木については終戦早々であったにも拘らず、ほんの低学年時代から聞かされて育った。

「嘘」を引くと、何れも「泥棒の始まり」である。しかし、「正直」には「正直貧乏、横着栄耀」があり、「嘘」には「嘘も方便」がある。親子の関係であれば子供が嘘をついたら引っ叩いても良いだろうが、理屈ではこれをどのように教えるのだろうか?財務省の高官はウソがばれても司法が免責してくれて、誰も傷つかないようだ。まして検察にも呼ばれないその上の高官や政治家たちは「栄耀栄華」そのものである。

先生方は頭が痛いことだろう。

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