2018年6月14日木曜日

食料問題

誰が言ったか「働かざる者食うべからず」だそうだが、人間食わずにはいられない。独居老人になって早や半年近くになるが、最大の問題は食料問題である。確かに食い物はお金さえあれば巷に溢れている。お金は、働かなくても1日当たり5千円近くが死ぬまで年金として支給されるシステムになっている。雨露を凌ぐ住まいを確保するために、支給される半分を当てるとしても、物価が高いとされる東京住まいであれ、2千5百円あれば3食は楽に食えるだろう。

考えてみれば有難い国、世の中と感謝せねばならぬだろう。だがしかし、その食事は当てがいぶちとはいかない。有りがたき年金の残額を頭に入れて毎日3度の食事を何にするか考え、自分で調達する必要がある。歩いて行ける範囲で調達できれば予算の範囲だから良いだろうが、交通機関を利用するとなると、その費用を食料費に食い込ませなけらない。昔から算数が苦手だからこの計算も厄介だ。

親父は百姓家の出身だった。5男であったことも関係しているかも知らぬが、兎も角百姓家を飛び出し、花の都で一旗揚げることを夢見たようだ。どうも血は争えないようで、若い時は似たような思いでいたのも事実。この考えは戦後育った者には共通でもあろう。父方の数多い従兄弟連中でも現役の百姓をしている者は一人だけになってしまった。彼もほぼ同い年で同じ3男、最初はご多分に漏れず百姓を嫌って都会に出たが、兄が次々に亡くなり結果的に田舎に戻って百姓になった。

周りも似たように後継者がいない家が多いのだろう、他家の耕作請負までして手広く農業を営んでいる。もう5年以上前になるが、泊りに行き、先ずその生活の近代的なこと食生活の豊かさと伯母を含め全員が健康であることに驚いた。加えて帰りには、お土産に米をたくさん貰って婆さんに喜ばれたことを思い出す。今になるとこの従弟が羨ましい。百姓が都会人と違うのは朝早起きしなくてはならないこと、土日休日とはいかないことぐらいのものだろう。

歳を取れば否でも早起きになるし、金を払ってまで運動したりする。全くアホらしい限りだ。個人的な食料問題もさることながら、農業、農家、農村の実態を知らずに食料問題を等閑視する世相と政府にも目を覚ましてもいたいものである。

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