2017年4月14日金曜日

ジャーナリストの基礎体力

一時の報道で政権支持率に影響が出るかと期待したが全くの期待外れ。理由について不思議ではあるが、先日読んだニューヨークタイムズ前東京支局長マーティン・ファクラー氏の著書「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」に、関連して興味深い記述があった。日本における政府とメディアの関係が世界標準から見るとかなり特殊で、メディアがジャーナリズムとして機能していないのではないかと言うのである。

メディアの基本機能は政権に対して「ウォッチドッグ(番犬)・ジャーナリズム」と位置づけらるのが普通だが、日本の新聞やテレビ局は中国かロシアの政府や党の機関紙・放送局と同じに見える。むしろ韓国政府とメディアとの関係のほうが、日本よりはよほど民主的でスマートだそうだ。

ここまではよく聞く話でもあり、現状マスコミから森友学園事件関連報道が潮が引くように薄れて、安倍1強体制の驕慢さにダメージが無いのを見ると、「仰る通り」で読み過ごすところだった。しかし次の1節「これは何も記者クラブ制度にのみ由来するものではない。特に安倍政権はマスコミに対して相当神経を用い、綿密でドライなメディア・マネイジメントを行っているのも事実だが、これに乗せられているメディア側にも相当な問題がある。」が目に留まり、思わず真剣に読んでしまった。

どこの国にも記者クラブ制度は存在するが、日本では運営のされ方に特徴がある。記者会見場にクラブメンバー以外入場を許されないのは有名なことだ。しかも国会の質疑と同様で予め質問者を決めて、質問内容を提出させている。例外の場合どうなるか、はしなくも露呈したのが先日の今村復興大臣の記者会見だろう。今村大臣には官僚が用意すべき答弁内容が渡っていなかったので「ここは公式の場ですから、後で聞きに来てくれ」と言ったのに質問者が聞き入れなかったところに問題の原因があるわけだ。

小泉総理時代は頻繁に行われていた「ぶら下がり記者会見」は、現政権になってから全く影をひそめてしまっている。自民党内で派閥が機能していた時代には、派閥の有力者と各社の派閥担当がウェットな人間関係を構築して、そこからの情報に価値が生じた時代もあったが、現在は先に書いたように、官邸が情報を一括管理して敵と味方を峻別する巧みな情報管理が行われているので、マスコミ情報が全て共産圏諸国の政府機関紙並みになっている。

百歩譲って、ここまでも既知のこととしよう。最も新鮮だったのは、日本の大手マスコミの新人採用に関してである。大学でジャーナリズム論をまじめに勉強したような学生は、なまじの知識を持つ新人は教育しにくいから、と敬遠されている。結果、日本では基礎体力が無い記者ばかりになって、「日本ジャーナリズムでの『スクープ』とは、政府高官から、明日の予定を今日教えてもらうことに過ぎなくなる」

欧米では、ジャーナリストと言えばメーカーの技術者同様の職人、専門職であり、ネタを追及する際に経営者の顔色を忖度する必要は全くないとしたものらしい。著者の経歴が凄い、最後にざっと紹介する。
【東京大学で経済学修士取得。1994年イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でジャーナリズム修士号取得後、1996年カリフォルニア大学バークレー校で東洋史研究によりPh.D.取得】記者になってからはブルームバーグ・AP通信・ウォールストリート・ジャーナルなど数社を歴任。

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