2017年4月23日日曜日

1強の政治風土

フランスや韓国の大統領選挙に関する報道を見ていると、何れも4人の候補者が接戦を演じているようだ。大統領制は日本に無いし、選挙制度も分からないが、国家のリーダーを選ぶ選挙を国民の大半が真剣に受け止めているようにも思え、少し羨ましくも思う。日本の国政選挙がいつになるか分からないが、意外に近く総理が解散を打つとの噂もある。その前、この7月には都議会選があるので、候補者は既に激しく動いている。

しかし、有権者の方はどうだろう。国民の大半は違うと思いたいが、個人的にはしらけ気分が募るばかりで、政治に関わること、即ち投票先を考えることすら面倒くさくなり始めている。フランスや韓国の人たちは、国家のリーダーの交代が自分の生活と直結することであり、それも自分の投票で決まると信じるだけの根拠があるのだろう。日本の国政選挙も同じ理屈の筈だが、どうも勝手が違うのは何故だろう?

どこからの引用か忘れたが、こんなメモが残っていた。あるフランス人が曰く「日本人の誰彼も、日本の政情についてよく知らないばかりか、どうしたらいいか意見を持っているものは少なく、皆、上の方でうまくやってくれるものと信じ切って任せている。総理大臣が決まる、その人が持つ政策がどうであるか内容が解らなくても、その人が命を惜しまず真剣でありさえすれば、それで信用する。」

政情についてよく知らないのは事実かもしれぬが、後半は明らかな間違いだ。特に<その人が命を惜しまず真剣でありさえすれば>と限定条件を付けていることを不思議に思う。フランスの大統領はそれが当たり前なのかどうかは知らぬが、最近の日本の政治家にそんな人間は思い当たらない。国民の大半は現総理のしたいことをよく理解していると思うし、必ずしも同意していないことが世論調査の結果に表れている。

であるのに、変わるべき政党や人材がいないとの理由で支持率は下がらない。このことが不思議で仕方ないので、誰かに読み解いてもらいたいものだ。

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