文書の廃棄

小学校入学前のことである。2年近く信州の古い城下町「松代」で過ごしていたことがある。家は南北に延びる馬場町と代官町に挟まれた武家屋敷で、前後左右似たような家が並んでいたように思う。庭には梅や柿や柏などの大きな木が何本もあり、屋敷の南側は結構大きな泉水があった。この泉水は西側の溝から水を引きこみ東側の溝に流す仕掛けになっていて、その出入口は金網があり、中の鯉など大きな魚は逃げ出せない仕組みになっていた。

今となると不思議に思うが、この泉水や屋敷の前の<せぎ>と言ったと思う溝の流れが生活用水の大部分で、井戸が無かった。もちろん当時は水道が来ていなかったので、飲用水と煮炊きに使う水は毎朝100m近く離れた上流の家の井戸から貰い水をしてくることになっていて、これが子供の仕事になっていた。子供と言っても未だ幼稚園の児童である。兄貴の手伝いについて歩いていただけだったかもしれぬ。

このように書いてくると、5歳前後のことをよく思い出すものだ。バケツに汲んで天秤棒で担いできた水はお勝手の流しの脇にあった大きな水瓶にあけられる。反対側には竃(へっつい)2個置かれていて、その間には銅壷(どうこ)が設置され、ここでお湯が沸かされる。竹の火吹きがどこに置かれていたかとか、書き出すときりがない。昨日のことや今朝のことも思い出せないのに、まさに認知症の初期症状かな。

いい加減にタイトルに関係する話に戻そう。この屋敷は兎に角古い文書の宝庫と言えば聞こえもいいだろうが、紙すら貴重な時代だから障子や襖は殆ど古い文書で修理されていたように思う。今もそうだが、兎に角和紙は丈夫だから襖の下張りだけでなく、障子紙代わりにはもってこいだったのだろう。何が書いてあるか分からないので、面白半分に祖母に読んでもらったこともある。今にしてみれば貴重な江戸時代の文化遺産だったかもしれぬ。

文書の記録はいつの時代でも貴重なものだから極力保存すべきものだと思うが、現代はパソコン等電子機器の発達で文書がやたらに増えてしまったのも事実だろう。役所の文書には管理規則があって、保存期間が決められているとのこと。結構なことだが、政権に都合悪い文書が、うまい具合に保存期間を過ぎているので確認できないらしい。昔の文書のように襖の下張りに使ったり、はたきに使って捨ててしまえばそれまでかもしれぬ。

しかし現代の電子システムは少し厄介で、簡単に廃棄は出来ない。これは防衛省で廃棄されたはずの南スーダンの日報が、どことかで見つかった、とは意味が違う。管理担当者は全員分かっている筈だが、関係者が使用しているPC端末にしても、関係者全員がアクセスするサーバーなる代物。何れも几帳面なもので、一定の時間ごとにバックアップデータを保存ずる仕掛けになっている。物凄く高度な技術をもってすれば不可能ではないかもしれぬが、現代は物理的にシステム全体の端末を抹殺しない限り、一旦書いた文書を永遠に削除することは出来ないのだと思う。

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