2015年1月29日木曜日

観劇感想【奇跡の歌姫「渡辺はま子」】

映画は昔から好きだったが、最近は観たい映画に出くわさないので、映画館に足を運ぶのは1年に精々1回か2回ぐらいのものだし、観劇の趣味は昔から無いに等しい。結婚相手がそっちの趣味をお持ちだったので、何回かお付き合いして程度のことである。ところが、この暮れから今月にかけて不思議なことに劇場を何回か訪れることになった。まず最初は孫の幼稚園のクリスマス会、このブログにも書いたが12月中頃だった。次が暮れも押し迫った頃暇つぶしに映画でもと思ったが碌な映画が無かったので、ならばいっそ新歌舞伎座の中を見たいとの好奇心から、何十年かぶりで歌舞伎を4階の立見席から2幕だけ観たものだ。

そして昨日、今度は横浜のみなとみらい地区にあるランドマークホールに赴き、横浜夢座15周年記念公演『奇跡の歌姫「渡辺はま子」』を観劇してきた。真冬の寒い日に滅多に出向かない横浜まで出かけたのは訳がある。大卒後最初に就職した広告会社の制作部長だった先輩が薦めてくれたのだ。この芝居の脚本を手がけた(山崎洋子さん)が同じ会社に勤務していたコピーライターで、昔は部長の部下に当たる人だったとのこと。記憶に無いかと言われても、全く思い出せない。芝居内容も面白いぞとの話もあったので、それではと出かけた次第。

横浜は久し振りでもあり、みなとみらい地区やランドマークタワーについて話には聞いていたが、行ったのは初めてである。新しく作られた都市だけに街全体に異国情緒を感じてしまった。しかし時間的には1時間足らずと意外に近い。東急東横線に乗り入れている東京メトロの副都心線で乗り換えなしで行ける。東横線では嘗ての桜木町駅がみなとみらい駅になったらしくて分かりやすい。下車駅が既にクイーンズスクエア横浜なる大型の複合施設で、その中のタイ飯屋で昼食を摂った。池袋ではお目に掛かれない広い店だったが客が全然少ない。

時間的に13時ではあったが、それにしても席が空き過ぎて、これも異国情緒になっていたのかもしれない。横浜と言えば首都圏の都会の筈だ。それでも都心と外れではこうも違うのか、地方再生なんて掛け声だけでは地域格差の解消なんて容易ではないだろうとしみじみ思う。しかし芝居会場ランドマークホールに行くとこれまたびっくりする豪華さ。大きな複合施設の5階でキャパは400席程度と思うが、満席である。今度は逆に、昨年末池袋で寄席に行った時の寂しさを思い出して複雑な気持ちになってしまう。

余計なことばかり書いてしまった、肝心の芝居について。先ず芝居や役者の良し悪しについては全く論じる資格も無いし、つもりも無い。主役が名前だけはきいたことがある五大路子さん。主役でもあり座長でもあって、15周年とあるから長いことここで演劇活動を続けているのだろう。婆さんはよく知っていて、行くか行くまいかと逡巡してた時に背中を押してくれた。芝居の内容をごく簡単に言えば、戦後の人気歌手渡辺はま子が歌ってヒットした曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」の誕生秘話である。

歌手の名前も曲そのものも微かながら記憶にあり、フィリピンの捕虜収容所と関係があることまでは知っていたが、それ以上のことは全く知らなかった。しかし観劇中に涙が零れ落ちて困るほど心を打つものがあった。話は昭和20年代半ばから後半にかけてのことである。既にすっかり忘却の彼方に沈んでいるが、小学校高学年になっている時代なので、少しの刺激で当時の生活について記憶が甦ってくる。座長も脚本家の山崎さんも当然ながら小生よりはお若い筈。なのによくここまで心のひだを衝いてきたものだ。

一つには歌手「渡辺はま子」の性格や人生そのものが感動的であり、二つ目には座長や脚本家或いは制作に関わる大勢が、そのことに思いを深くしている所以でもあろう。戦後70年の節目と騒がれる現在、戦争、いや戦後ですら記憶に残るところは非常に薄く、知らない人間が遥かに多くなっている。時恰も遠くの国で戦争に巻き込まれた邦人のことに世間の耳目が集まってもいる。少し離れて考えれば、再び戦争に巻き込まれつつあることでもあろう。

経験からすると、人間は苦しく悲しいことはできるだけ早く忘れようとするものらしい。戦中戦後苦労された人の多くは、苦労について語ることが少なかったのではなかろうか。しかし、国家も同じでいいのだろうか?この芝居を観て、忘れてはいけないことがあるとの思いが強い。現在の政治動向を見ていると不安が増すばかりだ。

脚本を書いた作家の山崎さんはパンフレットに一文を寄せ「戦争責任は、すべての大人が担うべきだと、私は思う。」と書いている。一人でも多くの人に観劇を薦めたい芝居だった。

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