2021年12月29日水曜日

東と西

 大晦日からまた寒波の襲来と予報が出てるが、この冬の寒さは厳しい。歳をとったせいか前からか分からないが、数日前の夜、寝ていても寒さで足先が温まらず、堪らず靴下を履いてしまった。山小屋では何度か経験したことがあったが、自宅では初めてのことだ。その翌日の晩は山で残してきたペットボトルが1本あったので、これを熱湯に変えてタオルで巻いて湯たんぽにした。そして昨日はもう駄目だと決心して、電気アンカを買い込み一安心。すっかり年寄りモードとなっている。

今年も大詰め、スッキリしない年だったような気がする。本来であれば大掃除をしなければならないのだが、何もしていない。しめ飾りも無い汚れた家で新年を迎えるのも気にならなくなっている。己自身も相当おかしいが、日本人全体が小生同様で気にすべきことを気にしなくなってると思う。昔を思うと、それぞれの家には必ず神棚があり、その家が代々敬っていた神様がいたものだ。実は我が家にはその神棚がなかった。神は父であり母だったのだろう。長じて神が嫁になったとも言える。

それでも元日は必ずしめ飾りをした玄関先に国旗だけは掲げていた。父は毎朝庭に降りて体操を始める前に、東に向かって手を合わせ何やら熱心に祈っていたから、父なりに信仰していた神がいたに違いない。家内が他界してから仏壇を誂えたので、小生は毎朝仏壇にお茶と水を捧げて手を合わせることをお勤めとしている。だいぶ父に似てきたものだ。父が何を念じてたか訊いたことがない。仕方ないから、先祖と近親者の顔と名前を思い出すことにしている。あの世とこの世に混在してるが約40人。

妙な習慣になったように思うが、やっぱり一神教ではない日本人だ。数日前仏壇用の蝋燭を買いに行って思ったことがある。この商品は何処のコンビニにも置いてあるものだが、応対した外国人の店員には「蝋燭は何処にありますか?」が通じなかった。宗教用具だから仕方ない。彼はきっとインドネシアかどこかのイスラム教徒だったのだろう。彼らが日本人の宗教をどう見てるか知らぬが、もし聞かれたら「アメリカ教あるいは西洋教」と答えたい。

元来が八百万の多神教だったのだから、独りぐらいずば抜けて強く依存する神が突然出現してもおかしくはあるまい。またアメリカや西洋の価値観が広く全世界を覆い、それが普遍的なんぞと言われる時代になったことは、個人には非常に残念だ。ところで、東洋と西洋と言われるが、東洋とは何処から何処までを言うのだろう?東を向けば地球上何処まで言っても東洋だし、西も同じだ。

しかし、東洋と誰が言い始めたか知らぬが、西洋人が言ったとすれば、そこに開拓者精神(パイオイアスピリット)を感じる。自分では東洋人と思っているが、西は十万億土しか見えない。

2 件のコメント:

呑兵衛あな さんのコメント...

>東洋と誰が言い始めたか知らぬが、西洋人が言ったとすれば

「東洋vs西洋」は日本人の発想・言葉とのことです、
中国では「東方vs西方」ですし、欧米では「オリエントvsオクシデント」です。
いずれにしても二つの文化圏が存在することは認識しているようですが、その分界点はマチマチのようです。

また、英語では東側として「イースタン」と称する場合も有るそうですが、その場合は自エリアを称する用語は無いようです。要するに「都vs田舎」のような感覚なのでしょうか。
また、イスラム圏でも東西を意味する概念は無いようです。

senkawa爺 さんのコメント...

呑兵衛あなさん
いつも貴重な知識を伝授いただき有難うございます。
この冬は江戸でさえ相当寒さが厳しいので、そちらは一層のことと思います。
どうぞご自愛いただき、良い年をお迎えください。