花は咲く

2011年3月11日の後で一時はやった流行歌「花は咲く」が好きだ。歌詞を正確に覚えてはいないが、次の段落の詩が特に良い。
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう

幸い子供に恵まれ、先祖から受け継いだ血筋(女子二人ですから家名は残らない)を若干この世に残せそうなことについて、それなりの満足もあるが、欲張りの本能で死期が近づくにつれ、もっと何かを残したいとか、残すべきではないかと考えてしまうこともある。言葉一つでもいいから、何か有益有用なもの一つを紡ぎだしたくもなる。

しかし両親の教えを思い出すと、これが微妙になってくる。父は口数は少なかったにも拘らず、結構いろいろなことを教え諭していたような気もするが、母は饒舌でもあり、字や文章も達者で、父に比べると遥かに多い手紙を残してくれていた。過去形で書いたのは理由がある。母が良く言っていたことであるが、人間死んでしまえば「ハイそれまでよ」で、何も残らないし、残す必要もない。
このことが頭のどこかにあったのだろう、10月の引っ越しの際、思い切って両親からの手紙や記録の類を一切処分してしまった。

昔のアルバムに張り付けてある写真はかすかに残っているが、写真の類を含めてである。このことを泉下の両親がどう思うか分からないが、ともに「それで善い」と許してくれそうな気がする。形として残るのは墓石だけであるかもしれないが、我が両親のことは嫁は勿論、子供二人の記憶にもはっきり焼き付いている筈で、何かの折に話題になって家族の団らんに笑いを提供してくれたりしている。

ここに書き続けている駄文も、先に書いたように余計な欲があって日課のようになってしまったが、全く無用の極みなんだろう。言葉と言うやつは言い出すほどに意味が薄れていくだけのことかと思うと、少し勿体ない気がしないでもない。「花は散る」の歌詞を思い出させてくれたのは、今朝総理の真珠湾での演説をテレビで観たからである。

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