ある明治人の話

短い人生の中でキャパが大きい脳みその中に何を放り込むか、人によっても違うだろうが時代によっても変わってくるに違いない。先日徒然に本田宗一郎氏の講演を聞いてみた。1982年6月の講演だから30年以上前のものである。故人の講演を手軽に聞くことができるのはネットの良いところだ。題して「行革推進について」当時本田氏は経団連会長の土光さんに頼まれて、前年に始まった中曽根第二次臨時行政調査会(当時の首相は鈴木善幸氏)の副会長か何かしていたようだ。

本田氏は自動車大手の「ホンダ」を1代で築いた立志伝中の人材であるが、田中角栄氏と同じように尋常高等小学校しか行っていないようである。氏の話は大変分かりやすく、内容でも興味深かったことはいろいろある。一つは、徹底的に役人や政治家をこき下ろして、主催者の埼玉県本庄市青年会議所が募った多数の聴衆に「もっと怒れ」とけしかけていたこと。氏がアンチ行政であることは知っていたが、なるほど頭の構造が常人とはだいぶ違うことが実感できた。

今や1千万円を超えている国民一人当たり財政赤字が未だ70万円か80万円の時代のことですよ。「今の行政や政治家は間違ったことをしても言い訳ばかりで、謝ることを知らない。」だから国民が怒らなくてはいけないと財界の重鎮が檄を飛ばしているのだ。本田氏が危機感をもって訴えたところは現代にもそのまま、いやそれ以上に悪化しているだろう。しかし今や政府や行政を当てにしなかった本田氏と異なり、同じように頭のいい人間ばかりで、我々は同じような言い訳をばかりを聞かされ続けいる。

氏の論点をもう1点書き加えれば教育問題を論じたことか。教育の重要性と教育は時代とともに変わる必要性を強調していたこと。現代の教育は記憶に偏重しすぎている。自分は算数が得意であったが、昨今の高校入試数学問題なんか全く歯が立たない。あんなに難しいことは覚える必要があるのだろうか。今でも東大を出た優秀な人材と言われる人たちの多くが、この記憶力だけを磨いて社会に送り出されているとすれば不幸なことだ。

記憶だけだったらコンピュータに敵う筈がないのだから、コンピュータに任せて、もっと他の才能を伸ばす教育で多様な人材を育成することを考えた方が社会のためになると思う。子供時代から手先が器用だったので、と言って面白い話を披露していた。家業が自転車屋だったので、通信簿に押す親のハンコを古タイヤを刻んで自分で制作したこと、こう言ったことが大人になっても随分役に立ったように思う。てな話だったが、何となく同感できることが多かった。

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