2016年6月9日木曜日

言いたいことが言えない期間?

東京は既に水不足だそうだ。利根川水系のダムが10近くあるらしいが、貯水量を合計しても44%しか無いと昨夜テレビが言っていた。中でも東京の水源として頼みの綱、八木沢ダムの水量が20%足らずで水道局は心配しているとのこと。我が家に水道が来たのは結婚してからだから45年くらいは経つだろう。近くに水道タンクがあるせいかどうか知らぬが、爾来断水は一度も経験していない。

文化生活に馴染むと人間は弱くなるのは当たり前だが、水道も電気もあって当たり前なので、いざとなったらなす術が無いだろう。困ったものだ。庭の片隅に井戸はあるが、モーターが故障してとっくに使えなくなっている。6月に入ったばかりなのに何故かと言えば、雪が少なかったことが原因とのこと。確かにこの冬は雪が少なくていい塩梅だった。しかし夏場になって断水でも発生したら積雪が少なかったことを恨めしく思うに違いない。

せめて梅雨の間くらい雨でも沢山降ってほしいが、余り景気よく降る気配は今のところない。今日も終日雨の予報だったが、夜中少し降っていたようではあるが朝になると上がってしまった。明日は夫婦ともに別々外出の予定があるので、晴れの予報を信じている。人間てやつはどこまでも身勝手なものだ。どこかで天罰が下らなければいいが。

ところで街を歩いていたら、選挙ポスターを張る掲示板が立ち始めていて参議院議員選挙が近づいたことを実感する。確かに年がら年中あちこちに政治家のポスターが貼られたのでは叶わないが、最近日本の選挙制度については些か疑問を感じ始めた。ポスターのことばかりではない。今年に入ってしばしばテレビで報道されるアメリカの大統領選挙について、ネットで少し知るに及んでのことである。

日本では選挙が公示されると、名高い公職選挙法で候補者に対してポスター貼り一つから選挙に関する行動(選挙運動)に厳しい制約が掛かる。競争の土俵づくりと理解して、こちらには関係ないから良しとしよう。しかし、メディアの選挙関連報道が公平を期すためとか何とかで、途端につまらぬものになるのは如何なものか。マスコミは報道の自由・言論の自由と大騒ぎしながら、何故そんなにつまらない報道になるのだろう?言いたいことを言えば良いではないか。

アメリカの大統領選挙は、それぞれの候補者がマスコミを我田に引き込むために凄い金を使うらしい。それも日本の選挙のように数週間の話ではない。約1年近くにわたって努力し続けるのだから、その金集めも日本的に考えれば尋常ならざるものがあるらしい。マスコミも誰を贔屓しているかがはっきり表明するのが普通。メディアについては選挙民が自由に選べるのだから、その方が候補者について多面的かつ深く知ることが出来るのではなかろうか。

たまたま今日、普段からよく見ているネット動画の中で、主催者が「公示なったら我々も自粛しなければなりません。」と言っていた。「ネット動画よ、お前もか」である。どんな罪になるのか知らないが、せめてネットぐらいは普段の主張に沿って、思い切り言いたいことを言ってほしいものだ。

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