2016年6月15日水曜日

政治不信についての謎

やっと都知事辞任が確定したようだ。この騒ぎのお蔭で、普段何をしているか全く見えない都会議員がテレビに出てきた。関連して前から思っていることがある。都議会議員がなんで必要なのか、不要だろう。都民との接点は区(市町)議会議員が持っていて、都議会議員が役に立つなんてことを聞いたことが無い。都議会は必要だろうから各区(市町村)長で構成すればいいではないか。これも初めて知ったようなものだが、都知事の公私混同疑惑追及に終始したこの短い都議会、次の議会開催は9月とのこと。こんないい加減なものますます不要だ。

国会から始まって村会議員に至るまで世の中に議員様が何人いるか知らぬが、結構な数になることだけは間違いなさそうだ。ほぼ全員が先生と呼ばれる政治家と言う職業の従事者になる。確かに政治家は国民のための指導者である。1億2千万人、4千5百万世帯を超える集団の秩序を守るためには必要な職業だろう。しかし民主主義なるこれまた結構な制度上、この先生方は選挙で選ばれる仕組みになっている。ここがまた悩ましい。

都知事の問題はさて置き、近く選挙の中でも大仕掛けな国政選挙が行われる。用意できるお金など立候補するための資格要件はあるらしいが、人格識見についての資格は聞いたことが無い。そうはいっても実際に立候補する人は、大抵最高学府を出たり、他の職業で功成り名を遂げたような人が多いものだ。愚鈍な人物が手を挙げても当選する筈はない。お金があって頭のいい人が立候補するとしたものだろう。情報化が進んでいる世の中だから、投票する国民の側もそれなりに立候補者の人格識見に関して検証は可能な筈だ。

それがどうしてこんな結果になってしまうのか?ある人に言わせると「政治家に人格や品格を求めるのは、ゴキブリにそれを求めると同じことだ。」そこまで酷評してはいけないかもしれぬが、実は賛成したい意味もある。事前の資格試験も不要、勤務評定は無し、その割に任期中の給与や職業に伴う特権と名誉は計り知れない。となれば若い人に人気の職業になっていいと思うが、実際の人気は高くなさそうだ。

理由が分からないが、一つには政治家にとって無視できない重要な問題がある。政治の世界に必要不可欠な政党問題である。議員となる政治家が当面目指すところは行政府のトップ、都であれば都知事、国であれば総理大臣か。自治体トップの選挙は政党色が薄まることが多いが、政党の応援無しでの当選は覚束ない。政治家はどうしても政党組織に絡め取れられ、そこから堕落が始まるのかもしれぬ。

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