2016年6月29日水曜日

成長と発展?

外国が妙に騒然としているように報道されるので、振り返って我が国と比較してみたくなった。現在外国の騒動の根っこにあるのはナショナリズムらしいが、日本でまともにナショナリズムを唱える者は、現代居ないに等しいのではないか。いや、総理自身が声高に唱えているではないかとの反論もあろうが、安倍さんは対米従属べったりだから、本物とは言えない似非ナショナリストなので問題にしないことにする。

聞くところでは、ヨーロッパはここ千年近く戦争に明け暮れ、国家の消長が激しく、国境線がしょっちゅう書き換わってきたとのこと。千年単位で見れば日本も似たようなものかもしれぬが、410数年前の徳川幕府成立で国が統一されて現在に至っているとも言える。少し厳密に考えれば、徳川時代の日本国は現在のEUとは大分異なるにせよ、300諸国の連合体であったとも言える。
それが約150年前の明治維新で、統一が更に強化されて現在に至っていることになる。

その後の日本は英国を見習った訳でもないかもしれぬが、意欲的に外国へ進出することはあっても、内に籠る発想はなかなか出てこない。現在ですら戦争による侵略こそ考えないが、何事においても海外への進出が発想の原点のようでもある。現在騒動を起こしている国々の傾向は逆で、外国とはできるだけ余計な摩擦を生じないよう内向きにものを考えて行く方向に向かっている。善悪の判断は難しいだろうが、経済面だけを取れば、内向きの発想では成長とか発展の発想が弱くなりそうだ。

しかしものは考えようだから、経済も成長や発展だけを追い続けることが良いのか、或いは可能なのかと言った疑問も湧いてくる。特に日本の場合は、資源が無いので経済的に内向きでは食っていけないとの声もよく耳にする。そのことも一応肯定したうえで尚、成長一本槍ではどこかの時点で何らかの破たんが起きそうな気がしてならない。国家と個人を同列においての論理に対しては反対意見の人も多いだろう。

老人になると経済活動は止まり、収入が無くなる。有るだけの資源を有効に利用しながら老後をいかに快適に過ごすかを模索する日々だが、これを考えるのもまた楽しからずやでもある。

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