2016年6月27日月曜日

脳梗塞を克服した友

一昨日、長年音信が途絶えていた古い友人から突然の電話があり、今日の昼に池袋で昼飯を一緒した。彼は2歳年下で最初の会社の後輩だったが、早くに独立して成功していた。会社の同僚であった期間はそう長いわけではなかったと思うが、それでも10年近い年月を小さな会社の小さなグループの上司と部下として、苦楽を共にしたのだと思う。

彼が入社して初めて部下としての配属されたときは、こちらも勿論まだ独身。彼の家が埼玉県の鴻巣で遠かったこともあり、会社が終わってから飲みに行くのが習慣化していた当時は、そのまま我が家に泊まり込むことも多かった。そうこうするうち、こちらが嫁をもらって暫くすると彼も結婚。こちらに長女が出来て暫くすると彼のところでも長女が誕生てなことで、何となく特別の親近感があり家族ぐるみの交際をするようになった。

彼が退職した後も付き合いは続き、年に1,2回はゴルフなんか一緒にしていたのだが、5年ほど前に脳梗塞が彼を襲い、以後ばったり音信が途絶えてしまったのだ。もともとスポーツマンで退職後はモータースポーツ関係の会社を起こした関係で海外出張が多く、正月前後に日本にいることが少なくて年賀状とは無縁のライフスタイルだった故もある。3年ほど前にやっと電話番号を探し出して電話をすると「現在リハビリで頑張っていますので、もう暫くしたらこちらから連絡します。」と言っただけで電話が切れてしまった。

その彼から突然の電話だったし、最初に電話を受けた婆さんが「すごく元気そうだったわよ。」とのことだったのでびっくりもした。約束した副都心線池袋駅で待つことしばし、奥さん連れで現れた彼は、最後に見た10年近く前より元気そうでもある。何はともあれ、近くのすし屋に席を決め、互いの近況を語り合った。聞くと彼の発病は5年ちょっと前、医者の見立てでは「右脳の神経が完全に死んでいるので、どうともなりません。精々リハビリに努めて他の神経が繋がるように努力をしてください。結果がどうなるかは分かりません。」だったらしい。

彼自身の解説では「完全に長島さん状態」で左半身不随で顔も相当歪んで満足にものも食えない、喋れない状態だったとのこと。今日見た目は普通であるが、右手はまだ力が入らないらしい。しかしゴルフは駄目でも車の運転は不自由なくできるようになった。先日も鴻巣から琵琶湖一周して延暦寺まで往復1400キロドライブしてきたばかりとのこと。「おい君。それは余りに無謀ではないか。」とたしなめるつもりで言うと、「今の車、右手はウインカーを出すだけですから何の支障もありません。」と平然としている。

何れにしても医者も驚くほどの驚異的回復で、今日会えたことは実に嬉しいことだった。いろいろ聞いて分かったように思ったことが一つある。5年間リハビリ専一に打ち込めたのは、彼自身が元来がスポーツマンだったことばかりではない。むしろ奥さんの内助の功の方が効いていたようだ。

0 件のコメント: