2013年7月22日月曜日

国民の選択

民主主義に対する概念が専制主義だとすれば、我が国は明治憲法発布以来ずっと民主主義国家だったようにも思う。時に選挙制度が変わったり、国民の信を問わずに戦争をおっぱじめたりしたが、目指していたところは民主主義であったのだろう。60数年前の敗戦で憲法が変わったからといっても、目指すところは同じで、手法に若干の違いがあるとしても、どうも行き着く先に大差が無いように思える。

憲法の条文がどうであれ、国家の赴く先は国民の選択に他ならない。先の大戦のきっかけになっている対韓半島政策、対支那政策、対ソ政策の何れをとっても、別に軍や特定の人間による専制の結果とは言い切れぬだろう。憲法に定められ、普通選挙によって選ばれた議員が構成するた国会もあれば、多少の検閲なんかがあったかもしれぬが、言論の自由を認められたメディアもあった筈だ。戦犯として処刑された方々、近衛元総理のように自決された方々、生き延びた岸元満州国次長たちだけが悪者だったわけでもあるまい。

日本ほど社会主義に徹している国は、北朝鮮ぐらいのものだろうと言う人さえいる。意味がよく分からぬが、憲法々々と大騒ぎしてみても、所詮は時の政府のさじ加減ひとつで全体主義になって見たり、社会主義になったりすると言うことかもしれぬ。まさに時の政府はいつも国民の選択なのだから、結果がどうあれ国民の一人として文句をいう訳にはいかない。昨日の選挙で、国民の選択は安倍政権に少なくとも向こう3年間は政権の運営を任せた。

安倍氏もやりたい放題にするだろうが、日本の将来が少し不安だ。何故かと言えば、安倍氏を支える人たちがよく見えないからに他ならない。昔みたいに軍部なら軍部と言ったように、相当ヤバそうに思える連中でも顔が見えれば想像もつくが、安倍氏の場合は、その背後霊が誰かよく見えないのが困る。強い者の味方とのスローガンが反対勢力から聞こえてくるが、これとてどこまで信じていいか分からない。アメリカの言うなりかと思えばそうでもない。

オバマ氏あたりは、安倍氏の余りの無教養さに愛想を尽かしてまとも相手していない、なんて悪口も聞こえてくる。確かに小学校から大学までエスカレーターで登りつめ、受験の経験が全くないなんてことは、外交の世界では余りアッピールできないのかもしれぬ。でもそんなことについて本人は気にしていないだろうし、気にする必要もなかろう。

不安と心配の種は、足場が国民の人気だけでは、本当の修羅場になった時に自信が揺らぎ、意思決定がダッチロールすることだ。結果どうなろうと小生を含め、国民はそれを甘受しなければいけない。ただ一つ願いを言えば、何となく日本人が戦争に行く可能性は高まっているように感じる昨今、誰が行くことになろうとこれだけは勘弁願いたい。

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