2013年7月13日土曜日

国政選挙への参加

参議院選挙も終盤戦になるが、家に帰ると婆さんが政治に愛想が尽きたそうで、政治家が出てくるとチャンネルを切り替えてしまう。気持ちが分からんでもない。投票を棄権するかと聞くと、投票だけはするらしい。でも亭主の名前を書いてこようかなんて言っているところを見ると、まだ相当迷っているのだろう。新聞の別刷りのような分厚い選挙公報だけは手元に置いている。こちらが選挙区は○○、比例区は共産党と書こうかな、と言ったら「共産党だけはやめた方が良いのでは」と言っていた。

アドバイスを受け入れてもいいし、たまには御意に叶わなくても別に問題は無いだろう。本音は棄権したい気持ちが一番かもしれない。3年後まで生き永らえれば目出度く後期高齢者である。その時の社会がどうなっているか、想像できないし、して見たところで始まらぬだろう。己の生活に変化ないことを祈るばかりで、選挙結果に期待するところは余りないように思うからである。結局日本は、良くも悪くも世界の動向から益々取り残される特殊な国になるような気がしてならない。

その渦中にいるのでよく分からないが、どうも日本人の感覚は普通でないところがあるような気がしてならない。よく聞く「本音と何とやら」である。表看板は公正で民主的な選挙で選ばれた議員で構成される立法府と議員内閣、公正な審判を受けている判事を頂点に形成される司法。この三権が分立して互いに牽制しあう理想的な民主国家のはずだが、本当にそうだろうか?

アフガニスタンの部族社会同様の利権組織が裏で蠢き、最近沢山産まれている政党も古くからの巨大政党も、実態的に国民を代表するものであるかは相当疑わしい。誰が本当に政治をコントロールしているかよく分からないので、選挙が茶番に思えてきてしまう。序でに言えば、中国の社会制度や政治システムについて、共産主義でもなければ民主主義あるいは資本主義にもあらずと悪く言うことが多い。

確かに彼国も分かり難いが、翻って我が国を思うと、中国ほど派手さはないが官僚の組織ぐるみの腐敗があり、メディアが政府にコントロールされるのも似たようなものだろう。「政治家の言葉の全てが建前であり、総論です。本音と各論は別で、官僚の裁量によります。」では彼国を笑ってはいられまい。少なくとトップに上り詰めている政治家を見る限り、彼国の方が立派に見えてくるのが悲しい。

0 件のコメント: