2019年11月7日木曜日

アルファベット文化

高校入学当時先輩が教えてくれた教訓「身体頑健なれど学力やや劣る」を目指したものの、結局のところ身体軟弱で学力は相当劣った者が論ずるのは、些か分不相応であるのは百も承知のこと。

日本は150年以上前から識字率が高く、外国からも文化国と見られてきたと思う。異文化についてはどんな国でも古来から命を懸けてまで取り込もうとした人は存在する。それを象徴する異人さんは今年2月日本人として惜しまれて亡くなられた元アメリカ人のドナルド・キーン氏だ。それは兎も角として、敗戦によって異文化がそれこそ怒涛のごとくに我が国押し寄せたのも事実。一口に文化と言っても様々、社会に複雑な変化をもたらすなかで、人によっては芳しくないと思うものも多数あったと思う。

中でも功罪相半ばすると思うのが、アルファベットの氾濫。終戦直後には、日本語を廃止して日本人はすべからく英語を使うようにすべし、なんて極論から一時的には、かなと漢字使用を禁止して全てアルファベット表記を採用すべきといったことが学者を含めやや真面目に論じられたと聞いている。江戸時代末期、郷土の大先輩佐久間象山先生ではないが、多くの知識人・官僚即ちお侍たちが、それまで専ら外国文化吸収のため重宝していたポルトガル語やオランダ語を捨て英語に切り替えたのはご存知の通り。

だから新教育基本法で育った我々が小学教育6年の後、全員が英語学習に取り組んだ?取り組まされたことは容易に理解できる。強いて言うならば小学教育に何故取り込まなかったかが不思議なくらいだ。戦前の高等小学校あたりで英語教育があったかどうか、中学の英語授業が戦後の英語授業と比べどうであったかは分からない。長野県の中学教師は長野師範、後の信州大学教育学部出身者が大部分。教える先生方も苦労されたことだろう。

兎も角その教育方針のお陰で、辛うじて私学ではあったが大学まで卒業することが出来た。それは結構だが英語なる知識、就職試験にまでついて回った記憶がある。しかし実社会に出てから英語知識が役立った経験は皆無に等しい。勿論友人の中には英語学習を更に磨き上げ、世界に羽ばたいて活躍した友人もいる。しかし中学同期生約250人、高校同期生約400人の中でどうだろう、1割の65人もいないかも知れぬ。

学問や教育は福沢諭吉先生ではないが、人の生涯を決する大事な問題であるのは言を俟たない。日本には教育省は無かったが文部省があった。それが何故か無くなり今は文科省と意味不明な省に変わり果てた。それも良しとしても、卑しく馬鹿な政治家共に軽々しく教育を論じてほしくない。

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