進学の条件

最近はやっている「身の丈」をお使いになった文科大臣を尊敬してしまう。皮肉です、身の丈ほど自身で分かりにくいことはない。例えば、月曜日の高校同期会でも話題になったことの一つに「自分のハゲ具合」がある。みな歳相応に禿げているので盛り上がった。毎朝鏡で己の顔を見て、未だてっぺんに少し毛が残っていると思っているが、これが大間違いらしい。ハゲが著しい友人が自らの例を引用して教えてくれた。「俺なんざ、相当ツルツルになっても櫛を持ち歩いていたものだ。」

頭髪のことなど外見上の過信は笑って済ませるが、身体機能の衰え即ち脳の働きや運動能力についての過信は危険に繋がりかねない。土曜日に孫と行った山歩きの筋肉痛後遺症は、水曜になっても未だ完治していない。体力の劣化が自分では分からないので無理をした咎めだ。囲碁の実力になるとその最たるものだ。碁を打ち始めると、まるで自分が名人か本因坊になったような錯覚に陥ってしまう悪い癖がある。身の丈身の程を弁えない典型である。

最近でこそあまり無いが、昔は飲み始めると財布の中身なんかいつの間にか忘れて身の丈に合わぬハシゴを繰り返したことは数しれず。歳を重ねると多少身の丈が分かって良さそうだが、なかなかそうならないのは文科大臣のお言葉を借りれば不徳のいたすところだろう。兎に角身の丈に合わぬことをするのは若者の特権のはず。それを国が「身の丈を考えろ」と言うのは可哀想だし無理な話だ。

世の中に様々な格差があることは誰も否定できないだろう。この格差を乗り越える唯一の手段が学問することで、福沢諭吉先生が仰ったかどうかは兎も角、若い頃の学問の道だけは家庭の事情を超え、平等に開くのが世界共通の政策目標と思うが、日本はだいぶ以前から、残念ながら学問も親がお金持ちでないと、優秀とされる大学に進学出来なくなっているようだ。大学を親の年収別ランク付けをするなら、東大がトップは大分以前に聞いた。

現在また共通一次かセンターテストか知らぬが、大きな話題になっている。こんなものがなぜ必要なのか?無かった時代に進学した老人にはどうしても理解しかねる。

コメント

村松 光 さんのコメント…
こんにちは。身の丈発言は我が家でも話題になっています。
先日小説を読んでいましたら、その本の発売は3年前でしたが
偶然にも「身の丈を知ることが大事」という1文があって、
よく使われる言葉だから不思議ではないのですが、ちょっと苦笑しました。

金持ちの子供が高学歴になるっていうのは、確かでしょうが
貧乏なうちの子供は、能力があったとしてもなかなか将来の
展望が開かないという現実もありますかしら。
senkawa爺 さんの投稿…
村松光さん
いつもありがとうございます。
現実は貧乏な家庭の子が将来の展望の展望にハンディを背負傾向が強まっていると案じています。

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