実は小室直樹氏の著作を1冊も読んだことがなかったので、先月図書館の蔵書では最新(ひょっとすると遺作かな)の「天皇畏るべし」を読んで、氏の眼力と表現力に非常に興味を覚えたからでもある。本書も同様で非常に読み易く、多くの示唆に富んでいる。タイトルが示す通り田中角栄氏について論じている、と言いうより褒め上げているのだが、ちょっと普通の誉め方とは異なる。角栄氏生存中とあれば、刑事被告人となって引退を余儀なくされ、しかも病気に倒れて半分世の中から忘れかけられていた筈だ。
著者の意図に角栄氏を惜しむことはあったろうが、それ以上に訴えてくるのは日本の民主主義のありようだ。どっぷりつかっていると分かりにくいが、現在のように安倍1強体制を見せつけられると、日本の政治や民主主義への疑問が湧いてくるので、かなり興味深く読んだ。書かれた時代は中選挙区時代だから政治家の選ばれ方も現代とは違う。金銭感覚についても現代とはかなり違うと思うのだが、政治家は選挙民によって選ばれることでは変わりない。
著者は選ばれた政治家が何をするか、したかについて語るのである。政治家は法律を作るのが仕事であるのは言うまでもない。その過程において大事なのは政治家と官僚との関係である。アメリカでは議員が自分のスタッフだけで法律をどんどん作るので、法律同士の不整合が生じることになる。この不整合を司法が判断して、どちらを優先するかを決める仕掛けになっている。日本の場合は角栄氏を例外とすれば、法律は政治家によって作られることは先ず無くて、殆どが官僚の手で作られる。
ではその官僚が法律に詳しいかと言えば、そうでないところがまた悩ましい。但し法律を作る前に官僚同士が綿密な打ち合わせをして、不整合を事前調整してしまう。アメリカの場合のような司法に出番はなくなる。即ち官僚が作った法律で3権分立も担保されているので、司法も行政も全て官僚の手に委ねられてしまっているところに日本の特性があるようだ。現在もこの基本的構造に変わりはない様だ。
政権は常に官僚を篭絡すべく考えてはいるようだが、人事権と恫喝めいた言動だけで官僚が動かせると思うのは、大違いであることがよく分かる。角栄を見習えと言いたいが、基礎が全然違うのでまず無理だろう。
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