2014年3月25日火曜日

卒業式シーズン

昨日に引き続き今日は気温が一気に上がり20℃を超えたらしい。近くの小学校が廃校になって老人ホームへの開発が進む中、校庭の辛夷の大木が切り倒されて無くなってしまったので気がつかなかったが、他の小学校で見つけた辛夷が丁度満開になっていた。街では着物に紺色の袴を着たお嬢さんを沢山見かけた。女子大生ばかり目につくが、男子生徒の卒業式帰りを印象付ける人間を見かけないのが不思議である。着つけない背広で、卒業証書の入った筒をぶら下げ、しかも親と一緒なんて格好が悪いと思う子が多いのか?

区内の小学校の門前にも国旗が掲げられて門が大きく開かれ、正装の若いお父さんやお母さんが吸い込まれていく。理解に苦しむのが国旗の下置かれた看板「○○小学校卒業証書授与式」となっている。卒業式を何で証書の授与式にしなければならないのだろう?学生にとっても家族にとっても卒業式や入学式は大きな節目であり、傍から見る者からも春らしく希望にに満ちて微笑ましい光景だ。昨年の4月、慶応大学が卒業50年を記念して入学式に招待してくれた。半世紀の時を経て数千人が歌う塾歌(校歌)の中に身を置いて、感激したことを思いだす。

孫の一人が先週中学校を卒業したが、どんな内容でどんな気持ちだったか聞いてみたい。区が異なるから卒業式だったか証書の授与式だったかだけでも興味がある。最近は「仰げば尊し」を卒業生が斉唱する学校も少ないと聞く。誰の如何なる存念によるものか分からないが、生徒に感激を与えるものが何であるか、理解できない大人が増えているに違いない。文科省と沖縄のどこかの教育委員会が教科書の採用をめぐって下らない争いをしているそうだ。それをマスコミが面白半分で取り上げて騒ぐ。

どちらも自らを貶めているともうが気がつかないようだ。嘗ては学校の教育者を「先生」と呼びならわし、余り教師とは言わなかったように思う。昨今はアルバイトの家庭教師でも代議士でも「先生」になった代わりに、学校の先生が「教師」になってしまっているのだろう。時代が変わってしまったので、年寄りが恨みを言っても仕方がないだろうが、義務教育の生徒たちが学校で学ぶより先に、タレントやプロスポーツ選手の言動に刺激されてしまっている現状があるように思う。

昨今洋の東西を問わずに湧き上がりつつある変なナショナリズムや右翼思想に比べれば、その方が平和で益しとすべきか?

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