2015年2月20日金曜日

ジャーナリスト・スピリット

昨日は野暮用があって、正直に言えば単にネット碁に夢中になり過ぎてブログを書きそびれてしまった。休日であればいいのだが、平日なので宿題を忘れたような後ろめたさを感じてしまう。学校に通っている時代には全くそんな感情を覚えたことが無いのに、この期に及んでそれを感じるとは不思議なものだ。笑^^。後ろめたさにもいろいろあるが、単細胞の所為かどうも嘘をつくのが苦手である。

直接聞いた訳ではないが、夜のテレビ報道や今朝の新聞によると、昨日の予算委員会で菅官房長官が、例のイスラム国による邦人人質殺害事件に関する政府の対応を追及されて、実にいい加減な答弁をしたようだ。政府言い分は我々が事件の発生を知って以来二転三転しているようだが、昨日の答弁では「後藤健二さんが行方不明になったことは11月から分かっていたが、12月3日に後藤夫人宛てに脅迫メール(答弁では身代金要求とは言っていない様子)が届き、何者かに身柄を拘束されたことを確認した。その後、相手がイスラム国と分かったのは12月9日のことです。」

子供の頃田舎でよく使った形容動詞に「いけしゃーしゃーと(嘘っぱちをこきやがって)」がある。動詞「白を切る」の前につける「ぬけぬけ」なんかより遥かに程度の悪い。見え透いているのに臆面もない嘘を言った時に使用するが、本当にこれを使いたくなる思いだ。昨年12月3日と19日の間は丁度総選挙の時期と重なっていた。一国民であるので、当方は当然ながら何も知らされてはいない。あの殺害予告の映像は青天の霹靂であったが、政府関係者にとっては青天の霹靂では済まされない。

例え総理と官房長官が共に官邸を留守にしていたにしても、情報は常に総理のもとに届けられていたのだから全く問題は無かったと強弁している。語るに落ちるとはこんなことを言うのだろう。対策本部やら危機管理官やら組織は様々あれども、的確な情報収集が全く出来なかったか、最初から邦人二人の生命について真剣に考慮しなかったか以外には考えられない。それにしても国会質疑に対する応答が、あからさまな嘘で押し通ってしまう現状はどう考えればいいのだろう。

ニクソン元米国大統領の辞任を受けてアメリカジャーナリズム報告書が「指導者というものはうそをつくものです」と書いたそうだ。現代の日本の指導者たちも嘘が許されると勘違いしているのだろうか?幸いニクソン氏は発行部数が僅か100万部にも届かない新聞「ワシントン・ポスト」の当時未だ20歳代だった若い記者によって嘘を暴かれ、結果的には辞任に追い込まれた。アメリカについては嫌いなところも多いが、この一事を見る限りジャーナリズムの健全性を称賛したい。

翻って我が国のジャーナリズム、特に最も国民への影響が大と思われるあのNHKのことを思うと寒くなる。些か古い引用だが帝国陸軍の山下奉文大将がフィリピンで戦犯として絞首刑を執行される直前に残した遺言がある。「私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。」御用学者や政治家の無節操は仕方ないかもしれぬが、ジャーナリストの阿諛追従は勘弁願いたい。

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