2020年3月7日土曜日

感染症今昔

最近日本では癌や心疾患、脳血管疾患が死亡原因の上位にあって肺炎はその次に位置している。しかし子供時代と言うか中学生になるくらいまでは、我が国で最も恐れられていた疾患は感染症の肺結核だった。3歳時の時に父が南方に出征したので、家族は熊本から母の実家長野に戻り、父が復員してきた小学校入学時まで祖母や伯父たちと同居させてもらった。ところが同居していた伯叔父のお二人が紛れもない肺結核で自宅療養中だった。

当然空気感染の可能性はあったと思うが、詳しくは知らない。足掛け5年も複数の家族が同居するのは当時は珍しいことではなかった。この間に市内から松代という更に田舎に引っ越したり、途中で叔父が亡くなったりはした。最近シリア難民に関するテレビ報道を観て何となく当時を思い出すが、彼らの環境と異なるのは長野の場合は戦争に巻き込まれる心配が少なく、住居が失われなかったことだろう。

シリアだって同じだと思うが、田舎の家は広い。多人数の寝起きに不自由は無い。今回のコビット19騒動でも言われているが、子供は感染症には強いようでもある。大勢の兄弟や従弟妹達が同居していたが、この間に発症した者はいなかった。しかしである、昭和22年(1947年)小学校に入学するとすぐに、学校では結核予防策が行われていた。敗戦とは言え日本の衛生観念(軍国主義の数少ない良い点)は高いものがあり、校医(学校が契約している市内の内科医)が来校して全児童を検診する機会が設けられ、更に結核感染症予防の観点から毎年ツベルクリン検査なるものが実施されていた。

今しきりに言われるPCR検査とは異なり、前腕をわずかに傷つけ、結核菌ではないだろが何かを塗りつけて数日後に反応を見る検査だ。これで反応が出ないと陰性と判断され、後にBCGなる予防ワクチンのような注射をする仕掛けになっている。ご同輩諸氏は殆ど経験されているのですぐご理解されると思うが、お若い方には下手な文章でご理解願えないかもしれぬ。兎も角、小生は小学1年生から目出度く?ツベルクリン検査が陽性だったのでBCG注射のお世話になったことが無い。

自分で考えてもそりゃ当たり前だ。なんたって結核菌が蔓延している家に5年も住んでいたのだから。お陰と言っては語弊があるだろうが、中学1年になってやっと、校医の診断と保健所で撮影された35ミリのレントゲン写真で肺浸潤と烙印を押され、体育授業は見学となり、夏休み校外授業のアルプス登山への同行を禁じられてしまった。未だにそのトラウマが残っているかもしれない。

久し振りに呼吸器系疾患が話題になってきたが、昔で言えばストレプトマイシンのような特効薬が誕生するまでにそう多くの時間は要しないだろう。しかし世界に蔓延しつつあるこの病気が、日本のような場当たりの対策で、1年足らずで克服出来るとは思えない。

2 件のコメント:

村松 光 さんのコメント...

今でも結核に罹る人がいるらしいですね。何の脈絡もないのですが、私は
結核にはならないだろうと思っています。でも新型コロナウイルスには
かかるかもと心配しています。結構いろいろな集まりに行くからです。
昨日も40人が集まる会に出てしまいました。やれやれという感じです。

senkawa爺 さんのコメント...

村松光さん
いつもありがとうございます。
私も同じような話題ばかりで、少し飽きてきました。