2020年3月10日火曜日

基本の大切さ

日本では昔からロマンチックな出来事の代名詞とされた暖かな春の雨の一日だ。しかし余りロマンチックな気分に浸れる御仁は少ないようだ。と言っても実際に暖かいし、辛夷がきれいに咲いているから春には違いない。今日は卒業証書を手にした和服姿の女性をたくさん見かけたが、付添のお母さんの姿は無い。傍目には寂しげな卒業式だったかもしれぬが、ご本人の晴れがましさは一入の筈。雨も降っていることだし早く帰宅して両親を安心させるが良いだろう。

全く自慢にならぬが、高校も大学も卒業式を欠席したのが慚愧の極み。大学は兎も角としても、勉強の基本を終了とされる高校くらいはけじめを付けるべきだった。だから未だにいい年になっても何事によらず進歩が無い。昨日の指導碁でも先生からいつもの事ながら注意されたことは「基本に忠実に」だ。指導碁については多くの先生からもう20年以上指導を受けているが、今の先生ほどこれに拘る先生はいなかったと思う。

囲碁は千変万化で二度と同じ勝負は無い。最低でも互いに100手くらいは打つとしたものだ。だから何が、或いはどこが或いは何時が基本か分からないのが正直なところ。先生は「常に」と仰る。先生の指導碁を見学していると、確かに先生はいつも基本に徹して打ち進めている。中には指導を受ける方で生意気にも己の勝ち気で先生に挑み、たまに勝つ人間もいる。囲碁の諺に「上手は変わる」というものがあり、上手い人同士が打つと、局面よって変化する場面をしばしば見受けるのも確かだ。

しかしそれは飽くまでプロ棋士のように脳みその構造が凡人と全く異なる人の場合の話、先生は基本を終了しないうちにそういった考えを持つのは上達しないとの信念があるのだろうと思う。普段打っているネット囲碁は相手が全くわからず、ただ棋力が同程度と言うだけだから色んな人がいるのだろう。時々思わぬところで奇手が飛び出したり、最初から基本では考えられないような布石が出たりする。これもまた囲碁の面白さだ。

最近は相手がどう出ようと、初心を忘れず飽くまで基本を大事にしながら勝率を上げたいと思っているが、世の中は複雑でなかなか思うようには行かないものだ。

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