2014年11月5日水曜日

盛り上がらない日本の選挙戦

恐らくであるが、僅か100年一寸前の明治維新頃までの日本人の多くは、自分が経験していないことについては知る由も無かった訳で、他人の話を聞いて信ずる人、信じない人の割合については分からない。これも多分だが、人が良くて坊主の説教なんぞ信じる人が結構居たのかもしれない。19世紀半ばにして世界的にも識字率が高く、他国に比べれば一般国民の教養が高いされた我が国においてのことである。

以来、150年ほどの間に急速な通信手段の発展があり、書籍等の印刷媒体に始まり現在のテレビまでマスメディアが発達した。国家や篤志家による教育機関の発展と相俟って、個人の知識の急増は数値では計りきれないのだろう。加えて今世紀に入ってからは、インターネットなる新しい通信手段の出現があって、その上昇カーブに拍車が掛かっている。医学的には人間の脳みそのキャパ、即ち記憶容量は無限大とも言う人もいる。

しかし個人的感覚からすると、コップ1杯程度の脳みそに水道の蛇口を開け放しにして知識を注ぎ込まれている感がある。確かな記憶、覚えておくべきことは果たして何だったのか分からなくっているのは小生だけだろうか?インターネットが流行り始めた頃に盛んに言われたのが「バーチャル空間」(仮想空間)、即ち現実とは異なる空間と言うことだ。言ってみればこのブログもお遊びだから良いと勝手に理屈を付けてはいるが、空疎で誰にとっても糞の役にも立たぬことは明らか。有害ならざることを祈るのみだ。

頭に注ぎ込まれる知識がさほど多くなければ、事の善悪や黒白の判断しやすいが、多くになるにつれてむしろ判断が付き難くなることもありそうだ。そこで今の世で活躍するのが広告宣伝の類だろう。1960年代初期に「(株)○○宣伝」に就職した時は何をする会社も知らず、給料さえもらえればめっけもの程度の事だった。事実その類の会社の存在は社会的にも大したものとは言えず、大学生だった小生が知る会社は1社も無く、よく研究している学生にとっても精々「電通」か「博報堂」程度だったろう。

働き始めて数年経って、後輩の婚礼で「我が社の仕事は、お宮さんでお守りを売っていますが、あれと同じようなものです。」言ってしまったくらいだ。広告なんて効果が果たして有るのかどうか、極めてインチキ臭いものと本気で思っていた。しかし、そのインチキ稼業から足を洗えず40数年、足を抜いてから改めて世の中を見ると、恐ろしいことに今や宣伝万能の時代になってしまったようだ。何も日本だけではない、世界共通の現象で、今日行われているアメリカの総選挙報道を見てつくづく思った。

実体験が無いのに、頭に注ぎ込まれた情報だけで物事の判断をする時代。そのことについて今更善悪を言う事は出来ない。それが正に実態なのだから。ならばいっそのこと、我が国の政治システム、選挙のしかたもアメリカ同様かどうか分からないが、金に任せて好きなことをさせたらどうだろう。団扇だワインだとチマチマしたことで大騒ぎするのは、何でも法令で細かいことを決めるせいだろう。お金は使い放題、会計だけオープンにすることだけ決める。

テレビで相手候補のネガティブ宣伝をしようと構うもんか。不謹慎かもしれぬが、政策なんか批判が無ければ面白くない。時効になっている脱税問題に触れられただけで、子供の喧嘩ではあるまいに、むきになる総理の馬鹿さ加減。テレビだけがマスメディアではない時代、もっと開かれた空間があるのだから、そこで堂々とキャンペーンを張ればいい。そうすればアメリカ並みに若い人も参加するお祭り騒ぎの選挙が実現するかもしれぬ。

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