2014年11月19日水曜日

俳優高倉健と総理大臣

昨日から今朝にけて報道各社はトップニュースの取り扱いにさぞ悩んだことだろう。一つは俳優高倉健氏の死亡に関する件、方や幾ら国民が聞き飽きたと言っても総理大臣の記者会見である。しかも只の記者会見ではない。開催中の国会の全て放り出して衆議院の解散を打つと言うのだからただ事ではない。極めて重大な案件があって然るべきであるが、自身があと数年総理の座にしがみつくためだけに選んだ解散であることは明白なので、トップにしたところで悪口以外の記事の書きように困るのは関係していなくても分かる。

しかし仮初めにも総理大臣様のお声がかりとなれば、トップにして、しかも多少はヨイショをしない訳にいかない。NHKでさえあざとくトップにちょこっと高倉健を持ってきて、総理記者会見を挟み、後に又高倉健を持ってくるなんて構成をしていた。高倉健については昼からテレビ報道があったようで、家に帰って毎晩9時から30分くらいは見ることにしている9時のニュース番組を、チャンネル権を持つ婆さんが見せてくれなかった。高倉健はもう十分見たし、総理の顔を見るのも声を聴くのも不愉快なんだそうだ。

民放はその点はっきりしている。どちらに意味(たとえ内容的には意味が無くてもだ)があるかよりどちらが高視聴に繋がるかが問題なのだから言うまでもない。今朝の新聞でさえ、高倉健氏のことは1面に扱い、全ページ合計すれば記者会見関連を遥かにしのぐだろう。昨日の総理記者会見は約30分、冒頭に20分が総理の演説で、これは殆ど生で聞いた。引き続き記者の質問があったろうが、7時半には事務所を締めることにしているのでテレビを切ってしまった。婆さんの台詞ではないが、官邸記者クラブの記者の質問なんて八百長相撲より下らない。

昨年高倉健氏が文化勲章を貰った時は少し違和感を覚えたものだ。婆さんに言わせると、文化勲章は兎も角、国民栄誉賞の価値はあるとのこと。「森光子さんでさえ受賞しているのだから当然じゃない。」「私は高倉さんの映画を一度も見たことが無いので的確じゃないかもしれない。どう見てもあの人は演技力が無いと思うわ。しかし演技力が有るか無いかの問題ではなく、国民的人気でしょう。」その通りである。大ファンだった一人として言わせてもらえば、高倉健氏の演技力なんてどうでも良いことだ。

演技力とは何かよく分からないが、60年代に彼の映画を殆ど見た立場からすると、彼と自分が一体化したような気分になったのは事実。これも評論家がしきりに言う通りだ。「映画館を出て来る若者がすっかりその気になっていた。」罷り間違えば本物のヤクザになりかねない危険性もあっただろう。今考えると冷やっとする。「八甲田山」あたりからだろうか、文学作品ぽいものに出るようになってからは殆ど見ていないので、彼の印象はひたすら格好いい「兄い」である。映画を見なくなって暫くしてからだから80年代中頃だろうか、新宿のホテルでエレベーター前に佇む彼を見かけたことがある。

黒っぽいジーパンと似たような色のジャンパー姿の只の小父さんみたい、一瞬別人かと思うほどで、俳優らしくない恰好が余計印象深かった。昨日今日のテレビを見ていると、仕事とプライバシーを完全に切り離す性格だった様で、普段は余り恰好を付けなかったようだ。最近久し振りにコマーシャルに出ていたので懐かしく思っていたので残念でもある。総理が訪問しても碌に歓迎しない中国の外交部洪磊報道官が公式に弔意を表してくれたそうだが、小生も冥福を祈りたい。

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