2010年9月7日火曜日

異常気象

今日はほんの少しだが暑さが和らいでいる。朝の天気予報では気温は昨日と変わらないとの事だったが、台風の影響のせいか、若干曇りがちな上に風が吹き始めている。昼に昨日と同じ道を池袋まで歩いたが、汗の出方がまるで違う。昨日昼食を食べた食堂で「終わりのない夏は無いのだから、もう少しの辛抱では・・・」と何の見込みも無いのに軽口をたたいた。しかし今日は都会の殺伐たる歩道を歩いてさえ、忍びよる秋の気配を確かに感じる事が出来た。

昨日だったか、気象庁の職員が余り使いたくないのですがと前置きして「今年のこの暑さは異常気象です。」と断言していた。これがこれから当たり前になったのではたまったものではないから、是非異常であってほしいものだ。今朝のテレビでは首都圏の野菜や果物の生育に相当な被害だ出ている事を報じていたが、水不足でさつま芋が全く育たない事を知らされてびっくりした。

数年前、北信の奥地秋山郷を訪れた時に見たパンフレットか何かに、○○年の飢饉で全滅と記された集落が幾つも記載されていたのを思い出した。これだけ日照りが続いたら、江戸時代であれば間違いなく飢饉が発生したのだろう。現代はこれだけ本州のど真ん中に雨が降らなくても、田畑の作物が全滅する事が無いのは立派な事だ。特に稲作については例年並みと予想されている。今や農業技術の進歩、品種改良、利水の完成で食の恵みの有難さを忘れがちだ。

こんな機会に本当は少し食料不足が発生した方が、飽食に慣れた日本人を脅すには良いのではと不穏当な考えも頭をよぎる。たまたま孫の一人が「さつま芋小僧」と言われるほど芋の天麩羅の大ファンなので、婆さんが「真ちゃんには大変な年になるかも。」と言ったので飢饉の事を思い出した次第。

専門家の間では何年に一度くらいが異常なのかは知らないが、小生が初めて東京に出てきた昭和33年の夏も相当な暑さだったように記憶している。当時は高校3年生だが、夏休みにひと月だけ予備校に通うために、当時千代田区三番町にあった千曲寮(長野の大学生のための寮で、学期中は兄貴が入っていた)に仮住まいした。勿論エアコンは無い。昼も夜も暑いので毎日寮内では殆ど裸で暮らしていた事、夕方少し遅くなると麦めしの異臭が鼻について余り食えなかった事から始まり、ここには書ききれない様々の事が併せて思い出された。何れも今思うと別の国の光景みたいだ。

昼食のついでにJRの緑の窓口に行って、明後日から出かける旅行の切符の手配をした。9日は新宿から茅野迄の中央線特急、10日に茅野から黒姫迄の中央線・篠ノ井線・信越線の乗り継ぎ、12日に黒姫から東京迄の信越線・長野新幹線と結構複雑な旅程。鉄道さえ押さえておけば、後はバスとか自家用車の送迎付き。亀の甲より年の功で、最近の山登りは毎度の事だが一寸した大名旅行だ。肝心の山登りは11,12日だから台風も通過してしまう事だろう。

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