2019年6月6日木曜日

日本の歴史認識

日本は世界でも稀な長い歴史と伝統を有する国である。と言われるし実際にそう考える日本人は多いと思う。しかしこれは少し思い上がった考えではないだろうか?先ず日本の歴史を皇紀2670数年なんて言う向きもある。小生は栄えある皇紀2600年生まれ。しかし現皇室と繋がるかどうかは問わないことにしても、日本の王が歴史上に出現するのは隣国(魏)によって認められた卑弥呼が最初、高々1700一寸年前のこと。

それ以前にヤマトタケルなんて王が活躍した時代もあったと信じたいが、残念ながらその時代は日本に未だ文字が無かったようだから仕方ない。世界にはキリスト誕生以前に国家の体をなして、それなりの文化を誇っていた国は枚挙にいとまない。ナイル川、チグリスユーフラティス川、インダス川、黄河流域に留まらずアメリカ大陸にも多くの国家の歴史が文字や絵文字で残されている。

しかしその子孫が現存していない、或いは現存していたとしても証明の仕様が無いのも事実だろう。そこに行くと日本の皇室の歴史は100代以上、千年以上遡れるのだからアメリカの大統領が敬意をもって接するのは当たり前だ。従って、日本人が新興国家のアメリカ合衆国と比較して胸を張るのは良いだろうが、ヨーロッパの国々や中国、ロシアに向かって同様な態度を取るのは考え物だ。この思いは今朝報道された英国ポーツマスにおけるノルマンディー上陸を記念する式典と、ロシアの首都モスクワで行われた習近平中国国家主席とプーチン大統領の会見の模様を見たからである。何れの式典も歴史を認識せざるを得ないように演出されている。

数日前、戦前の海軍記念日について少し触れたが、偶々その数日後に読んだ記事に「英国におけるトラファルガー海戦とネルソン提督」がある。英国では老若男女この二つを知らざる人間はいないとの記事であった。些か誇張が過ぎるのではと思ったりもしたが、或いは事実かもしれぬ。話が跳んで何を言いたいか分かり難いかとも思う。言いたいのは皇室の歴史と国家の歴史を同一視することへの疑問である。

流石に悠久の日本なんてことは最近聞かない。皇室が千年有余国を統べて来た訳でもない。近年から始まり国家の歴史を出来るだけ正しく理解して、現在を正しく後世に伝えることが文明への責任だと思う。最後に、元号が変わったことで大騒ぎがあった。このことについて面白い意見を発見した。誰が言ったか忘れたが「日本は70数年元号は幾たびか変わったが<戦後>と言う時代を脱しきれていない。」ポーツマスの式典に出席したドイツのメルケル首相の演説を聞いて、共感の思いが一層強くなった。

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