2015年12月7日月曜日

読後感「財務省と政治」清水真人著

副題に<「最強官庁」の虚像と実像>が付いている。著者は日本経済新聞社の政治部と経済部の両方を経験した経済解説部編集委員とのこと。まだ51歳の現役らしい。今年の9月15日発行になっている。レシートの日付が11月9日なので、1か月近くも読了しなかったのだから、かなり読みにくかったとも言える。政治にもそれなりの興味を持ち、嘗ては大蔵官僚と多少付き合いがあってのことだから、大衆受けはしないだろう。

次に<まえがき>の冒頭を引用する。
「それは全く意味の無い仕事だ。武村正義官房長官にいくら話を聞いても、何も分かる筈がない。なぜなら、我々大蔵省は、官房長官に重要事項は何上げていないのだから」1994年3月2日。政治部記者だった筆者が経済部に移り、大蔵省担当になった翌日のことだ。先輩の指示でさっそく、主計局幹部が住む東京・目黒区の公務員住宅に朝駆けに及んだ。車に同乗させてもらって、先月まで官邸で官房長官を担当していたと自己紹介した途端に「意味の無い仕事」と一刀両断されてしまった。

現在このような記者が多いのかどうか知らないが、知る限りでは大手の新聞社や放送局では政治・経済の両部を経験する記者は少ないと思う。しかし日本の政策決定は、官僚とその上に乗っかる形になっている内閣、即ち政治家との微妙なバランスで形づくられてきたことだけは間違いない。その官僚にも序列みたいものが存在して、嘗ての大蔵省、現財務省が予算を査定する役目を持つことから、一頭他から抜きんでているのも事実だ。

その上に徴税機能があるが、その税金を勝手に決める訳にはいかず、税金は立法府で決定される完全な政治マターである。ために財務省は政治と密接な連係プレーが必要になる。この歴史について知り得たところを経験に基づいて記し解説している。政治と一口に言っても、主に睨むところは当然時の内閣、財務大臣や総理大臣が主になるのは当然である。しかし、内閣はある意味で、常に不安定な状態にあり、いつ代わるとも限らない。

しかし、財務省的には常に年度ごとに予算を編成しなけれならない訳で、単年度毎に税収の見通しを決め、それに見合う予算を各省に配分する重要な役目があり、これをきちんとタイムスケジュールに載せて毎年回していかねばならない。そのためには、他の省のように財務大臣だけに説明をして済む筈も無い。内閣全体はおろか与党野党から、諮問会議の主立つメンバーに至るまで相当幅広い根回しが必要となる。

与野党で意見が異なるのは仕方ないだろうが、最近の例に見られるように野党がいつ何時政権を取るか分からないからそれなりの気も遣うだろうが、与党内でも、官邸と党との意見の違いなんぞは常日頃の話だ。本来政策決定は政治家の役目ではあるが、特に今の政治家を極言すると、自分のこと選挙のことしか頭に無いので、国民目線でものを考えたり、国家財政の歴史や長期の展望に無関心とも言える。

財務省官僚はその意味では大分ましだろうが、それでも予算編成のタイムスケジュールを守るために、政治家に妥協もするし、最終決定には従わざるを得ない実態がよく著されている。

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