2015年6月20日土曜日

メディアの同一性と多様性

我が国のマスメディアで代表的なものと言えば、先ずなんと言ってもNHKと見て差し支えは無いだろう。これは放送メディアのみであるが、広告業界に在籍した感覚で言うならば、現代に於いては放送メディアは活字メディアに対して圧倒的な優位性を持っている筈である。続いて新聞の読売・朝日・毎日・日経・産経・東京中日を挙げねばならない。これらは新聞のみならずテレビやラジオも傘下に有している。

更には、存在が見えにくいが首都圏から地方にニュースを配信する共同通信や、時事通信などの通信社の存在がある。日本には最低都道府県単位で地方新聞が発行されているが、この通信社の存在で、掲載されるニュースはかなり似たようなものになっていると思われる。放送局も地方の局が存在する格好だが、何れも前述の東京局の系列とされて東京の放送をそのまま流しているのと大差ない。全国どこに居ても同じ情報に接することを可能にして、文化的な格差を無くすとの意図から取られた制度であろう。

ある面では結構かもしれぬが、ある人間が意図的に先に挙げたNHKから東京中日と二つの通信社を抑えてしまえば、全国民を相当洗脳できるとなると少し危険でもありはしないか。せめてその頂点に立つNHKと新聞社の特徴が際立ってほしいと思う。巷間NHKと読売・産経系列は保守系で朝日・毎日系列はリベラル、なんてことも聞くが、果たしてそんなに大きな違いは無いように思えてならない。

何故ならば、報道のトップの扱いにも大差がないのは仕方ないにしても、紙面構成の殆どが同じであることには不思議を禁じ得ない。限られた紙面で取り上げるべきことは、思想信条が異なればもう少し違う取り上げ方があってもよさそうだが、その差異は実に小さなものと言える。そしてなによりも心配なのは、大手メディアが揃って拾わないネタに大きな問題が隠されていることである。

一例を挙げれば、一昨日行われた砂川裁判再審請求訴訟を起こしている元当事者・土屋源太郎氏と弁護団による記者会見を例え小さくても報じた新聞は東京新聞と毎日新聞だけである。この会見を詳しく聞けば、砂川判決が否定した東京地裁の伊達判決も、また砂川判決を下した田中裁判長の憲法違反も無視して進められている現国会の安保法制論議自体に重大な疑念が湧いてきて当然だと思うが、日本の大マスコミは肝心なところで揃って報道をスキップをする。

無作為の同一性によって国民を大きくミスリードすことが昔から多かった筈だが、その悪習は決して直っていない。新聞放送メディアに次いでは雑誌・インターネットが続くことになるが、流石こちらには大手メディアに見られない多様な視点があってためになる。最近NHKから雑誌までは接する機会が減り、インターネットに情報源を求めるのはその意味からである。若い諸君に期待するのも、彼らのメディアへの信頼性が、我々の時代と異なってきていることを疑わないからである。

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