2015年6月22日月曜日

読後感「堕落論・日本文化私感」坂口安吾著

書店で何気なく手にして面白そうなので買って読んでしまった。著者の作品に接するのは初めてだったが、実に面白いエッセイ集である。著者の略歴をざっと調べると1906年生まれなので、父とほぼ同じ年齢である。明治生まれの人の常のようだが、何をするにも懸命で、著者も昭和初期から小説家として懸命に生きてきたようだ。幸い年齢的なこともあろうが、終戦間際になって召集は受けるが、結局戦争に行かず、軍隊経験も無しで済んでしまったようである。

戦後1955年に48歳で没するまで多くの小説を残して、ファンも多いようであるが先に書いたように1篇も読んでいない。本書には書名になっている2編を含め、1931年から1950年までに書かれたエッセイ23篇が収録されている。どれも非常に興味深く読めたが、理由の一つが著者の生きざまが見事に描かれているからだろう。現役時代広告業に関わっていたことから出版社に出入りしてたので「作家なんて所詮不良少年ですよ」とはよく聞いていた。

このエッセイを読むとそのことがよく分かる。著者も勿論その例に洩れないが、それは現代のマスコミを賑わすような不良少年とは大分趣を異にしている。冒頭に「懸命に生きる」ことを書いたが、著者が小説家は「既成概念に捕われずに己を見つめて己の信ずるところを発見する」でなくてはならず、その信念に基づいて生涯書き続けるべきだと思っていたことが伝わってくる。そのために呻吟苦吟するのだろう、酒に溺れ女色に溺れ挙句の果ては薬物に溺れた人生であったようだ。

溺れた対称だけ抽出するとその辺のヤクザや不良そのものだが、知識教養哲学の基本があるか無いかの違いは大きい。戦前から奈良や京都に多く存在する日本の伝統的文化財等の価値はそれ程評価せず、人間が毎日何をよすがに生きるかを追求することに意味を見いだそうとしたようだ。多分そのせいだろうが、1945年の敗戦以降のエッセイは俄然面白くなる。既成の権威を一切認めたくなかったのだろう、先に挙げた文化財はおろか、名だたる作家仲間の大半や小林秀雄のような大評論家先生まである意味ケチョンケチョンである。唯一例外は自殺した友人太宰治を悼むことくらいか。

但し、現在よくあるように己が無学のくせに他人ばかりを攻撃しているのではない。戦前に留学などの経験はなくとも、フランス語を学んでいた若い頃から多くの文献に接していたことはよく分かる。原因が何であったにせよ、敗戦を機に日本人の価値観が激変したのだから、常日頃から人間の生きざまを考えてきた著者には思うことがあり過ぎるくらいであったに違いない。それが1946年の春発表された「堕落論」に集約される。終戦から1年も経たないうちに日本人の価値観は激変して、一見すれば戦前から見れば大いに堕落しているようにも見える。しかし著者は言う。「堕落の中にこそ人間の本質がある」

堕落した日々を過ごしつつあるので共感するのかもしれぬが、人間の一面の真理を突いた作品の数々には妙な新鮮さを覚えた。

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