2015年6月29日月曜日

国家財政の不思議

年金収入だけで保たれている自分の財政と比較すると、テーマが大きすぎてまともな意見が言えるかどうか不安ではあるが、先週テレビを観ていて少し気になったことがある。昨今ギリシャの国家財政がおかしくなって、今月末までに返さねばならない国家債務が支払い不能になりそうだとの騒ぎが大きく報道されている。それがギリシャ国民にどのような影響を与えるのかよく分からないが、何でも銀行から預金が下せなくなる可能性も否定できないようで、先週あたりは銀行から預金を引き出す市民が相次いでいるらしい。

先週の何曜日だったか忘れたが、テレビで、ギリシャの国家債務と日本のそれは性質が全く異なる、なる説を述べている政治家がいた。自民党の山本幸三氏なるお人で元大蔵官僚とのこと。日本の国家財政上の負債は1千兆円を超えるが、資産が6百兆円ほどあり、他に海外債権を2百兆か3百兆円程所有したりしている。更に、国債のうち2百数十兆円を日銀が引き受けているが、これは永遠に外に出てこないので、国債価格に影響を及ぼすことはあり得ない。

このように計算していくと、我が国の純債務は60兆円程度にしかならないので、ギリシャとなんかとても比較にならず、何の心配も無い。が結論のようだった。言い換えると、我が国にとって大事なことは経済を活性化させることで、アベノミクスにはその狙いがある。百兆円もの国家予算を組んでその半分近くが借金で賄われていようと心配が無いとの理屈であるようだった。対談の相手が同志社大学大学院のビジネス研究科長・教授の浜矩子氏だったので、さすがに反論して日銀の信認が失われかねないと言っていたが。

冒頭書いたように、浜氏の意見も含めて難しいことは一切分からないが、一つ分かったことがある。山本氏の意見が現政権或いは財務省の意見を代表していて、彼等は国家財政に関して大した危機感を持ち合わせていないことである。外国に借金している訳でもないし、日本銀行に札をじゃんじゃん刷らせれば金なんかどうにでもなると考えているかのようだ。我々は好むと好まざるにかかわらず収入に見合った生活を余儀なくされるが、国家についてはこの考えは不必要にも聞こえた。

であるならば、何故税金や保険料を上げねばならぬのだろう?財政的に余裕があるなら、せめてこんなことはすべきでない。最近では、国家財政とは無関係に益々生活費を切り詰める努力しか念頭に浮かばない。一般的に消費税のアップや輸入品などの高騰で日常の買い物すら窮屈になっている庶民の懐具合など想像しながら、疑問が更に大きくなるばかりだ。

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