小学校に通い始めたころの事を時々思い出す。まだ終戦間も無い1947年4月の入学だから60年以上昔の事になってしまう。入学して最初の記憶は、担任の先生がひらがなの読み方を生徒一人一人とさしでテストをした事である。確かいろはのカードをランダムに取り出されたような記憶がある。私は半分くらいは読めたような気がするが、全部読めた子も勿論いた。考えてみると私は確か2年か1年幼稚園に通っていたのだが、いろはを半分くらいしか読めなくて普通だったのだろう。
その代りと言うのもおかしいがアルファベットについては、小学校3年生の冬にはエービーシーと全部言えたし、大文字だけであればABCを読む事も出来た。しかし今の子供に比べれば、当時の私の識字力は相当低く幼稚なものだと思う。現代では幼児の識字力はかなり高いのではないだろうか。にも拘らず本が売れなくて出版界は大分苦しいらしい。不思議で仕方無い。毎日利用する地下鉄の中で見ていると、随分小さな子が分厚い本を開いて読んでいる光景によく出くわすが、これは沿線の有名私立の生徒で例外なんだろうか?
文字を覚え始めると、当然活字を読みたくなるが我が家に絵本は殆ど無かった。しかし母や叔父叔母たちが読んだ戦前の少年少女向けの本がかなりあったように思う。すぐ近くの友人の家には講談社の絵本が沢山あった。彼の所も大きなお兄さんやお姉さんが沢山いたからだろう。彼の家に毎日ように遊びに行って一緒に絵本を読むのは楽しかった。そのうちに字を覚えると、家にある本を片端から読んだものだ。テレビが無かったことも幸いしているのだろう。ラジオは有ったが父がニュースを聞く以外、子供が触るものではないと思っていた。
兎に角日本の昔話や英雄偉人伝、アンデルセン、グリム、イソップ等の欧米の童話集、「小公子」「家なき子」「母を訪ねて3000里」「青い鳥」「フランダースの犬」「ピノキオ」等のお話とか数え上げるときりがない。絵本は別としてにして、本の挿絵は単色が多かったが情緒があったように記憶している。この時代に読んだストーリーは半世紀以上を過ぎて未だ頭の中で生きている事が多い。
しかし中には話の内容がどうしても思い出せず、もどかしく思うものがあるのも事実。私の場合は「心に太陽を、唇に歌を持て」だ。多分これが本のタイトルだったのだろうが、どうしても作者もストーリーも思い出せない。確か表紙の挿絵は帆船が難破して人が漂流している絵だったような気がする。この言葉はとても好きなのだが何方かストーリーをご存じだろうか。序にもう一つ、活字とは異なるが子供のころ母が教えてくれて以来何故か忘れられない詩がある。いつ思い出してもホッとする。
「山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう ああ、われひとと尋めゆきて 涙さしぐみかえりきぬ 山のあなたになお遠く、幸い住むと人のいう 」
挿絵とキャプションだけ
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