2009年12月22日火曜日

年初の予想

当て事と褌は先から外れるので先の事を考えるのは得意でない。しかし毎年暮れには婆さんが神宮館製の暦を買ってくるので、先日もパラパラと見た。小生六白金星の年回りだが珍しく〇印になっている。当然何年かに一度は回ってくるのだから、そういう年があっても不思議はないが久しぶりにお目に掛る心境だ。例年は気をつけなければならない事を読んだりするのだが、調子づくのが嫌になって今年は深く読まない事にした。

今日は今年の初めに考えていた事を振り返るためにmixiサイトに書いていた正月の日記を読み返して見た。
最初は正月の5日に初めて書いているが、「仕事始め・・・ケ セラ セラ」とタイトルを振っているだけあって何の見通しも無かった事が分かる、いつもの事だ。続いて6日こっちには少し先の予想めいた事を書いている。タイトルは「国会、いずれ選挙、そしてその後に何が」

以下少し引用する。

>「・・・もう誰も自民党に期待はしていないので民主党中心の政権が誕生するのだろう。むしろそこから先の事が気になる。 日本は議院内閣制で三権分立というが、この制度のせいか運用の間違いか知らぬが、我が国では内閣が行政をコントロールできずに行政が内閣を動かしているのは誰の目にも明らかだ。その内閣が立法府で法案の大部分を作っているのだからとても三権分立なんて言えた話ではない。日本は正に官僚社会主義国家だ。誰かが言っていたが地球に残された三大社会主義国家(北朝鮮とキューバ)の一画だそうだ。

民主党中心の内閣が本気で行政をコントロールするためにはまず何が必要なのだろうか?当然手順をいろいろ模索はしているだろう。でもネクストキャビネット程度の生易しい事ではないはずだ。・・・」<

振り返ると、年初には民主党政権が誕生する事が常識だったのだろう。そう考えると自公政権もよく頑張って8月まで持ちこたえたものだ。おそらく先の大戦でも昭和20年の正月頃は、国民の大多数が常識的には日本が負けると思っていたのでは。両者とも頑張った結果、国民に何をもたらしたかを考えてみる必要がある。自公が頑張ったのは政権交代をより実現しやすくしたと言う意味では良かったのかも知れない。しかし昭和20年の鈴木、小磯内閣は後ろの軍閥に脅かされていた意味はあろうが、死ななくてもいい人を大勢殺してしまった結果になっている。

後知恵で偉そうなことを言ってはいけないが。民意が実際の政治に反映されるまでは最低でもこの程度(8~12ヶ月くらいか)の時間は必要なんだろうな。そう考えると最近の民主党政治は優柔不断の総理と 傲慢で剛腕の幹事長のコンビで、比較的手際よく民意を汲んでいる気がしなくもない。

問題は自民党だ。先日の総裁とのミニ集会で茨城県のお百姓さんたちでさえ「与党のあら探しばかりでなくビジョンを示せ」と言っている。総裁が答えて「先ずは、総理と幹事長の政治資金問題を徹底追及します。これが私たちの使命だと思います。」

小泉進次郎が先導する中学生の社会科見学会をマスコミに取り上げさせたり、病的な上目使いの石波政調会長がねちっこい言い回しでテレビで喋るのを見ていると情けなくなる。河野太郎の言っていたことが正しかった事には党内で大方の議員も気づいているのだろうが、柵から抜け出せない保守の悲しさだ。小生も父譲りのウルトラコンサバティヴだと思っているが、年寄りが多いと言う事は国民の大半は保守の筈だ。自民党さんよ、保守とは少数の意見にしがみ付く事であっては困ります。

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