2011年10月31日月曜日

日記

作日の日曜日、書店でドナルド・キーン著の『百代の過客 日記にみる日本人』をぱらぱらとめくって立ち読みした。後で買うなり図書館で読んでみたいと思うが、面白そうだ。曰く、日記は日本文学のプロトタイプと断じられているようだ。嚆矢は千年以上の昔、唐に留学した何とかいう坊さんの日記で、続いて紀貫之の「土佐日記」が上げられていた。彼が態々女性に化けて書いた理由とか、芭蕉の「奥の細道」は随行の曾良の日記と比べると嘘が多いらしい。全て単なるメモではなくて、文学としての価値を高めるためにとられた手段との分析である。


我が日記に文学的価値を見出す事は出来ないだろうが、他にさしたるテーマも無いので、ウェブで日記を書き始めたころを振りかった。事の始まりは2005年10月18日、mixiサイトを教えてもらい日記を書き始めた事にある。その10月だけで6本書いている。あれから丸6年、途中2009年4月にblogspotにサイトを変更したが、最近は毎日のように書き綴っている。書くことが本質的に好きなのだろう。6年前の6本を読み返してみると、最近のものに比べて遥かに日記らしく、簡潔で読みやすい。

自分の気持ちも素直に表れているようでもある。最近は無理にネタをあさって書いている感が無いでもない。少し反省を込めて、最初の日記を全文コピーペストする。

以下引用・・・
<友の死>
小学校から大学まで同じ学校に通い、彼は大企業に就職して名古屋勤務が長かったので暫く顔を合わさなかったが、ここ数年は再び良く一緒に飲んでいた。
その彼が亡くなった。奥さんから弔辞を頼まれ一昨日お葬式で弔辞を読んだ。

その後しょぼくれた天気が続いている事もあってどうも気分がぱっとしない。
何れ遠からず俺もあの世へ行くのか?とても俺には覚悟が出来ないし、そんな
事は余り深く考えたくない。

何をすればもっと明るい気分になれるのか。
・・・引用終わり

丸6年、長いようでもあり、短いようでもある。

1 件のコメント:

DonKoba さんのコメント...

ドナルド・キーンの日本研究の深さを感心させられたのは、「日本人の西洋発見」(中公文庫)。特に、江戸時代中ごろからの蘭学者の群生に注目し、彼らの研究とその後の日本近代化に及ぼした影響を抉り出している。鎖国で閉鎖的な時代として教科書で学んできたイメージが完全に転換させられた。日本の近代化は明治維新から始まったというのは、明治新政府の策略的洗脳でさえあったのでは?歴史は大体勝者が書くという単純な事実を忘れてはならないと思い知らされた。その他、「日本人の美意識」や司馬遼太郎との対談「日本人と日本文化」では、これまで我々が見過ごしてきた日本文化を外国人の目から抉り出してくれている。