2011年11月1日火曜日

乱れているのか、進歩グローバル化か

高校時代お前の家に遊びに行った時の事だ。お前が親父さんの事を「お父ちゃん」と呼ぶのを聞いて、おかしいやらびっくりするやら。今年の夏、大勢の同期の友人の前で笑い話をされてしまった。恥ずかしながら確かにその通りだ。面と向かってお父さん、お母さんとまともに呼ぶようになったのはいつの頃からだろう。かなり大人になってからであるのは間違いない。

娘二人に孫が3人いて、3番目の孫が日本語を少しずつ覚え始めた。「おたたん」「おかあたん」「おばあたん」は聞き分けるのが大変だが、「おじいちゃん」だけはかなり明瞭で嬉しい限りだ。自慢するほどの事ではないかもしれぬが、我が家は「パパ」や「ママ」が根付かなかった。日本語は外国人にとっては難しいとも、人によっては易しいとも言われる。しかし日本人にとっては一番使いやすく便利な言語であるのは言うまでもない。

外国語と外国事情に疎いので、やや我田引水の感は否めないが、日本語は言葉にしても文字に書いても、個性がよく出るし、外国語には容易に見られない美しさがある。昔のドイツ語辞書の文字や映画のタイトル文字などを見ていると、書体そのものは日本語にない工夫や美しさはあるのだろうが、水茎の跡麗しい書には人柄が偲ばれるし、文字の芸術性は日本独特ものと誇るべきだろう。
日常会話において語彙が豊富であるのも特徴の一つであろう。日本人は時と場所に応じて、簡単な言葉を使い分ける事が自然にできる。この辺の事は大きくなってから覚えるのは少し大変だろう。語彙が多いのは良しとして残念なのは、新しい意味不明(老夫婦にとってだけかも)の言葉とおかしな言葉づかいが次から次へとテレビから生み出されてくる事だ。

タレントを集めたクイズ番組なんかでは、こんなことまで知る必要があるの?と思う程に難解な漢字を読み書きするものがある。これを又結構知っているタレントがいるから不思議。一方で歴とした局アナが、「挙式をあげられました」みたい変にご丁寧な言葉遣いをしてくれたりする。歌謡曲が好きでよく番組を見るのだが、台所で聴いている婆さんは画面を見ないと何を言っているか分からないと嘆いている。確かに昔の歌謡曲や童謡は目をつぶって聞いても心にすんなり入ってくる。

シニア・ナビで毎日ブログを読ませてもらっている広島の方が昨日「はやり言葉」について書かれていたのを拝見して「言葉遣い」について書くことを思いついた。

関連して、これもどうかと思う。
昨日国会で自民党の小渕優子議員が総理に対して「報道では、あなたは父と似ていると言われる。状況、人柄は似ているかもしれない」としたうえで「している事は似て非なるもの、天地ほどの差がある」と切って捨てた。勿論党内で十分な打ち合わせ後の発言だろう。身内のことをへりくだる風習のある日本の国会で発言する彼女も彼女だが、それをさせる自民の幹部も狂っているとしか思えない。

2 件のコメント:

まさやん さんのコメント...

テレビタレントの「ウチのお父さん、ウチのお母さん」、が耳障りでしょうがありません。だれの責任でしょうかね。
学校か家庭か。

senkawa爺 さんのコメント...

まさやさん
コメントをありがとうございます。
ビジネスにおいて「うちの奥さん」との発言があっても、本人はマジですから、念のため。