2011年11月2日水曜日

人物と名前

古希を過ぎて尚、少しばかり知識が増えたからと言いてどうなるものでもない。しかし高齢者に歴史を勉強する人が結構多い。小生も勉強と言うほどのものではないが、歴史小説など読んでみたくなる時がある。若い人ほど歴史を学べばいいと思うが皮肉な事だ。生まれた時期が軍国主義花盛りであったせいか、学齢はおろか幼稚園に通う前から、上杉謙信と武田信玄の名前を覚えたように思う。故郷の北信濃には縁の深い戦国武将である。兄貴がいたせいもあるのかもしれない。

昭和57年に書かれた池波正太郎の随筆を読んでいたら次の一文があった。
『加藤清正について書くとき、近所の高校生に聞いてみたんです。
「加藤清正、知っているかね?」
「それ、議員でしょう」
これだからねえ、外国の歌手やスターの名前は知っていても、自分の生まれて育った国の事は何も知らない。』
もう30年近く前の事だから、現在は推して知るべしである。

歴史は繰り返す、歴史に学べとも言われるが、本当だろうか?「学べ」の2字が嫌いなので引っ掛るが、子供の時に憶えた名前には戦国武将以外に多分実在しなかったであろう伝説の善玉悪玉がいた。酒呑童子とか安達が原の鬼婆とか八岐大蛇とか怖い奴もがたくさんいて、こいつらをやっつける英雄がいた。余談になるが、小学校に行くようになっても、酒呑童子は歴史上実在したのだと思い込んでいた。

少なくとも小生は社会の骨格について、虚実ないまぜの伝説から大分学んだ可能性はある。現代は昭和10年台20年代と比較してみると。我が家の孫への関わりを見ていても、婆さんは孫の食事(食い物)には熱心だが、話を聞かせるところは見たことが無い。母親がどうしているか知らないが、古臭い昔話を知っているとも思えない。思い起こすと、小生は祖母から昔話をたくさん聴かされた記憶がある。

東京あたりでは核家族化の生活形態が極当たり前になっている。そこへ持ってきてテレビの発達で、母も祖母も子や孫も物語は全てテレビにお任せになっているのではなかろうか。いや幼児教育全体が、かなりテレビ依存している可能性は高いだろう。そうでなければ、日本語に無いような読み方の名前がこんなに氾濫するはずもない。

似たようなテーマが続いてしまった。反省

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