2011年10月23日日曜日

休日の夢想

土日は午前中プールに行く事にしているのだが、昨日も今日も行っていない。歯のインプラント手術の後遺症が口内にまだ若干残っているので自重している。代わりに事務所に来てパソコンを立ち上げて遊んでいる。泳ぐ代わりに歩く距離を少し多めにしているが、三週続いてプールを休んでいるので少し変な気分だ。土日のプールに来ている人はいつも殆ど同じなので、いつも見るあのおっさん、このところ来ていないなと不審に思っている人もいる事だろう。

閑話休題:中国の西安市で明大の気賀沢教授が「日本」の国名が刻まれた百済の軍人の墓誌を発見の報道がある。この墓誌は678年に制作されたとの事。日本と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大き謎で、大宝律令(701年)からとの見方が有力だったそうだ。

教授によると、百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。その後の状況を墓誌は「日本餘●(●は口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。「生き残った日本は、扶桑(日本の別称)に閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、そうした状況を打開するため百済の将軍だった祢軍が日本に派遣されたと記している。

少し前には元寇の船が長崎・鷹島沖で原形とどめて発見の報道もあった。こちらは13世紀の事件だから、白村江の戦いからするとずっと新しい事件ではある。しかし、自分の頭ではなかなか想像しにくい事では同じこと。従ってこの手の報道は、旧所古跡を巡って感動を覚えるのと同じで、ある種のロマンを感じさせてくれる。

先日野田総理が日帰り(実際は1泊している)のような慌ただしさで韓国を訪問しているが、TPPの議論なんか聞いていても現代の日本人は極めて内向きに思う。グローバリゼーションだけが良いとは限らないが、大昔から隣国とはかなり深い関係を持ってきたことをこういった事実は証明しているし、戦国時代の織田信長あたりは広い世界観を以て宣教師を受け止めていた。小生が何かにつけ親を追い越すことが出来ないのと同様、何百年いや千年以上経っても日本人はあまり進歩しないのかなぁ。

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