2011年10月19日水曜日

読後感「安土往還記」辻邦生著

戦国時代に日本にやってきたイエズス会の宣教師フロイスが帰国後に著した有名な「日本史」の、フランスで発見された古写本に綴じ込まれていた手紙の翻訳として書かれている。書き手は宣教師ではなく、1970年宣教師オルガンティノ(実在の人物)一行の護衛か付き人としてやってきたイタリアの軍人上がりの船乗りとの仕立てである。

著者がフランス留学中に発想したとされているが、先ずこの仕立ての発想がユニークで素晴らしい。主人公は1570年に来日して、織田信長が本能寺で自刃した1582年まで滞在していたことになっている。ストーリーは、主人公が鉄砲の扱いや製造に詳しかったことから信長と非常に親しくなり、信長を間近に観察した事を前提に信長像を描いている。


ある種の歴史小説、又は人物伝でもあるが、著者の信長の性格分析もユニークかもしれない。70年と言えば信長は未だ36歳、武田信玄等の群雄が全員健在であるし、日本中が戦乱で乱れ荒れている時代からのスタートである。信長は殆ど全国制覇に近いところまで行ったのだから、戦国時代の英雄であることは間違いない。

しかしここでは戦の英雄としての信長より、戦となると叡山を全山焼き払ったり、敵となった相手の女子供に至るまで皆殺しにする冷酷非情な信長と、はるばる地球の裏側から来た宣教師との間に極めて人間的な友情を結んだ信長が同一人物であった事に焦点を当てている。

そもそもこの本を読んだきっかけは、前回の読後感である「悪党小沢一郎に仕えて」石川知裕著の中で著者がこの本を取り上げ、信長と小沢の心理に共通するものがあると書いていたからである。あとがきにある解説(饗庭孝男)から引用したい。「信長の、ひたすら虚無をつきぬけ、完璧さの極限に達しようとする意志、「事が成る」ために力を集中して生きる生の燃焼の前に、温和な生との妥協や慈愛はしりぞけられる。…中略…自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする信長は、ある意味で、歴史の中に生きた人物の姿ではなく、現代に転移され、空無の中に立つ力業を求めている人間である。」

16世紀は洋の東西を問わず、自分の或いは他人の命さえも二の次三の次として、ただ一つの目的に向かってまっしぐらの生き方が極当たり前だったのだろう。現代における小沢一郎も石川氏から見るとそう見えたのかもしれない。しかし死生観や美に対する感性なんかに関しては雲泥の差があるように思ったりもする。著者は本書を1968年に発表、翌69年に芸術選奨新人賞を取っている。昔の文学賞は価値があると実感。



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