2009年4月7日火曜日

マスコミと私

40数年前になるが、大学の2、3年生の頃「マスコミュニケーション概論」なる単位を履修した記憶がある。講師は当時まだ報道局長ぐらいで取締役にもなっていなかったようであるが、数年後に東京放送の社長になった諏訪さんであった。当時はマスコミという言葉自体結構目新しかった様な気がする。勿論テレビ放送は始まっていたが、我が6畳間1部屋の安アパートには携帯ラジオが置いてあるだけだった。兄貴と同居していたので新聞は取っていたかもしれないが、あまり読んだ記憶が無い。

しかし誰に聞いたか、何を読んだか知らないが、東竜太郎が都知事で、東京オリンピックに向けて世論が盛り上がっている事は何となく分かっていたようだ。当時我がアパート前の道路(青梅街道)は地下鉄工事で夜になると都電も車も通行を遮断されて歩くしかなった記憶があるが、この関連かもしれない。総理大臣は誰であったかも定かではない。

当時最もインパクトのある報道はニュース映画だったような気がする。映画館によってはニュース映画の本数が違った。何処でも日本のニュース1本は必ず上映されたが、ムーヴィートンとやらの海外ニュースが上映されることもあり、これは特に興味深かった。後は殆ど遊び仲間である友人や兄弟とその友人あるいは飲み屋での会話からの情報しかなったのではないか。相当時間が余りそうだが、体を動かす必要が無い時は、ラジオで歌謡番組を聞いたり浪曲や落語を聞いたり本を読んでいたのかもしれない。

何れにしても世の中の動きについてもパーソナルな情報が多くて、自ら情報を集めて、自分なりの判断をして脳みそに格納する作業はそんなに多くはなったのだろう。 親兄弟の言う事は素直に信じていれば良かったわけだ。

しかし講師の諏訪さんによると「現代は新聞などのマスコミが非常に大きな力を発揮して世の中を動かしている。そしてこれからラジオ更にはテレビが大きな力を持ってくる。多分新聞の力を凌駕するようになるだろう。」というのだが、受講している此方は新聞なんか殆ど読まないし、ラジオも殆どNHKで朝又は夕方の精々15分程度のニュース以外は殆ど娯楽だったので、ピンとこなかった記憶がある。

要するにマスメディアの情報に接する時間が現在に比べると極端に少なかった事がはっきりしている。しかし社会生活を送るのにそんなに人に遅れている不便も感じなかったのだろう。比較して今を考えるとマスメディアから情報なるものを日夜摂取していないと社会人として暮らしていけないかのようだ。しかし冷静に考えてみると日夜摂取している情報が下らないものばかりである事に半ばうんざりもしているのだ。

自分にとって今のコミュニケーション環境はどうだろう。少し極端に言えば、まず友人との会話は殆ど無し。家族は老妻一人、朝晩の食事時約1.5時間ずつ、しかもテレビを見ながらだ。新聞は1紙朝夕刊それぞれ20分位ずつだろうか、タイトルをざっと読む程度かもしれない。後は起きる前と寝る前に一人でニュースショウ的なものを1時間か1時間半位は見ている。恐ろしいぐらいマスメディアに浸食されているではないか。自分の場合パーソナルコミュニケーションの欠如が著しく寂しいので、最近は代替にネット上でブログなんかを読むようになってきている。

妻や子さらに孫達のコミュニケーション環境を考えた時、確かにマスコミの影響が凄く大きいのだろうな。特に自分が生業としてきた広告のインパクトの大きさは我が学生時代の想像を遥かに越えたモンスター見たいものになっている事実がある。この事については今更良いの悪いの言っても始まらない。マスコミ業界の人の良識に待ちたいのだが、最近のネット情報などを読んでいると、昔から世の中をミスリードした張本人は軍部でも馬鹿な政治家でもなくやはりマスコミだったようだ。

小学校6年生の孫が定額給付金について娘に質問した話を聞いて改めてコミュニケーションについて考えてみた。今更ながら学生時代に「マスコミュニケーション概論」をもっと真面目に聞いておけばよかった。

1 件のコメント:

kiona さんのコメント...

ニュース映画の話など、 楽しく拝見しました。 昔の情景を、 体験した人から直接聞いて頭にイメージを浮かべるのは好きです。 貴重な話、 ありがとうございます。

自分のメディア接触についてコメントさせていただくと、 いまはテレビも一つか二つの番組しか見ませんし、 新聞もとっくにやめました。 ラジオも聞きませんし、 雑誌は美容室で読む程度でしょうか。

HANAKOだったかな、マガジンハウスの1雑誌の現在のコンセプトは "リビングに飾っておける雑誌" だそうで、ニュース性よりインテリア性を取ることで売上げを回復したなどと聞いています。 不思議な現象です。

自分もメディアに近いところの仕事でしたので、 義務のようにA新聞を購読していましたが、 この10年でマス関連の状況は想像より速く進んだように思います。

で現在はどこから情報を入手しているのだろうと考えてみても、それが釈然としないのです。 やはりウェブということになりますが、 新聞社のサイトもすでに定期的には見ていません。 たまたまみつけた いくつかのメディア、 ある程度のポータルから個人のサイトまで、 ということになります。 それでも不思議と一般的なニュースはカバーしていますし、 専門的なことは今まで以上に速くて深い情報が得られているように思います。 そうするとライフラインのように言われていたマスメディアって一体なんだったんだろう、 という気がしてしまうのも正直なところ。

小学生の子供の方がテレビを見る時間が長いのが意外ですが、 成長に連れてセグメントされてくることと思います。 彼らが見るのは、 お笑い、 バラエティですが、 そうしたパッケージはウェブにも最適なコンテンツ。 テレビだけのコンテンツでいられるのも時間の問題という気がします。 そうすると地デジどころか、 テレビ不要論、 あるいはマス不要論に傾く今日この頃。

その先にあるのは何かと考えるに、 情報の媒介であるメディアから、 情報の中身であるコンテンツへ、 さらにはそのコンテンツの発信者としての個人へ行き着くのではないか。 つまり、 誰がそれを言ったかによって、 コンテンツの価値が変わってしまう。

コンテンツの価値をそれぞれのリテラシーで吟味するのが理想的すが、 スピードが必要なときには、 誰が、 によって判断する方が早い。 発信元のブランド化が始まる、 いやすでに始まっているのかもしれません。 Twitterなどにはその傾向が顕著に見られます。

そんなこんなで、 長いコメントですいませんが、 このようにやりとりできるのも、 いまさらながらウェブの利点ですし、 マスほど波及力がないのは仕方ないとしても (一部ではマスより強力なブログもありますが) 孤独と忍耐のメディア、 自分もブログをやって、 そんなふうに思う今日この頃です。 始めた人を脅かすようで恐縮ですが^ ^