2009年4月14日火曜日

昭和34年4月10日

今年は天皇陛下ご成婚から50周年の記念すべき年である。本来であればもう少しお祝いムードが盛り上がってもいいのだろうが、経済とか政治が不安定で国民の多くはあまり平成の泰平を謳歌する気分になれないようだ。新聞の折り込みに両陛下の記念アルバム2100円なんてチラシが入ってきたが、自社が抱えている膨大な写真ストックで一儲けを企むのは良いとして宮内庁になにがしかの権利金を払うのだろうか?と余計な心配をしている。

小生にとっても今月の10日は上京から50周年の記念すべき日である。ご成婚のパレードはその後何度もニュース映画では観たが、当日は列車に揺られている時間だったし東京に到着していたとしてアパートにテレビは無かったので見ていない。その夜兄貴と早速新宿歌舞伎町に飲みに行き、「とんねる」なるバーで1杯50円のハイボールを飲みながらバーテンから「長野県出身の男がパレードに投石して逮捕されたが、立派なパレードだったようだ」と話を聞いた事を記憶している。

何れにしても半世紀前の記憶は茫々たる彼方に沈んですぐには思い出せない事が多いが、最初に飲みにった店は間違いなく「とんねる」だったと思うが2軒目以降については思い出せない。確か2軒か3軒をはしごして深夜の帰宅であった事、割り勘であったが、自分にとっては1か月分の生活費一万円の1割にあたる千円を一晩で使わされた事がショックだった事も覚えている。本当は500円ずつ出し合おうという話で合意して、先ずは西口のマーケットで50円の鯨かつ定食から始めたのだが。兄弟ともに自制心が薄かったわけだ。後は一瀉千里毎晩のように歌舞伎町方面に足が向く。

いくら50円で飯が食え100円でバーの勘定が払える時代であっても、それで済む筈がない。ハイボール1杯飲んで店を後に出来るような人間なら、最初から盛り場なんかうろつかないものだ。持ちつけないお宝千円札10枚が消えるのにさしたる時間は掛らなかった。次は近くの質屋さんに早速大学入学祝に買ってもらったシチズンの腕時計を持ち込む羽目に。確か6千円程した時計で千円借りる事が出来たと思う。田舎にいた時からいきがっていた悪ガキだったが、家計とか出納はからきし駄目だった。高校時代の必要経費は精々映画を観にいく事、悪ガキ同士で喫茶店でコーヒーを飲む事程度で1日100円以上必要なんて事はめったになかったようだ。従って小遣いなるものを幾ら貰っていたかも記憶にない。

それが東京に来たとたん四六時中誘惑にさらされ、これが全てお金が必要なんだからたまらない。月額一万円の生計は夏休みの頃には破たん状態となった。何故か、アルバイトが出来なかったからである。親父には日頃口を酸っぱく言っていた事がある。 「アルバイトは親御さんにお金がなくて苦学する人のための職域だからそこを犯してはいけない。自分は塩をなめても必要な生活費は送るから、アルバイトはしてはいけない。勉強を専一にしなさい。」

従ってアルバイトもせず、勉強も大してせず、かと言ってバー通いも止めず今考えるとどうしようもない大学生活のスタートだった。それでも夏休みに入ってやっとアルバイトの許可をもらった。兄貴の口添えで三越本店の酒売り場に入り込むことが出来たのだ。当時でも1階に酒売り場を設けている百貨店はここだけと自慢していたので、就職できたのが誇らしくあった。又この働いて対価を得る体験は非常に楽しかった。主任さんに認められれば日給の高い問屋の所属にしてもらえる仕組みになっていたのだ。勉強は得意ではなかったが、昔から早起きや長時間働く事一向に苦にならなかった。兎に角約1か月で一万円以上稼いだような気がする。

そんなこんなで一年間は月額一万円で何とかしのいだ楽しい1年だった。と言っても後期の教科書代一万五千円の大半は遊興費に消えてしまったような気がする。学生としては全く自慢できない大学生活の始まりで、結果的に落第こそしなかったが4年後の就職で苦労する。あの日からから現在までの半世紀、人様はどう評価するか分からないが、自分には後悔は無い。昭和34年4月は何から何までもが懐かしい。出来る事ならもう一度あの日に戻ってみたい。

1 件のコメント:

kiona さんのコメント...

普段はあまり年齢差を感じずにごいっしょさせていただくのですが、自分などがまだ生まれる前に大学生活を始められていたのですね。 お話に出てくる値段の感覚もピンと来ません。 50円で一食済んだということは、 物価は10倍くらいにはなったのでしょうか。

アルバイト、苦学・・ それらも裏を返せば、希望のあった時代だからこそできた努力という気がします。 今や若者の三人に一人は非正規雇用。 バイトなどというノンキな感覚はすでにどこへやら。 さらにインターンシップなどと、就職前の研修が推奨される時代。 どうにでもなる時代から、どうにもならない時代へ、大きく変化したわけですね。

三越本店というのは銀座ですよね、 自分が銀座界隈にいた頃にもまだ1F奥にワインや酒類が置いてありました。 あそこでバイトされていたんですね^ ^ "とんねる" も名前だけは聞いたことがあるように思うのですが。

親に見守られ、兄弟が刺激しあった時間・・ 感慨を覚えますが、帰りたい日があるかと考えてみても、自分には思いつきません。 もともと過去への執着は薄いほうですが、まだ未来に関心がある、あるいは現在で精一杯というところでしょうか。

それでもときどき、10代や20代の頃に聴いた音楽がいまだに世の中には残っていて、 そういうものに触れると何とも言えない感覚を覚えます。 映画でもそうなのですが、いくらレベルの高いものを見ても聴いても、あの頃自分のなかに入り込んだものを越える作品には決定論的に出会えない気もする。 それはすでに、未来がないのだと言われているのと同様に。

物質的な時間の問題ではなく、たとえばこれから自分は映画監督になって、死ぬまでに1本でも撮るということがあり得ないと、もうすでに死んでいるのと同じかもしれない。 そのように思う今日この頃、自分が若かりし頃にもまだあった、どうにでもなる、という気分を何とか取り戻せないものかなと思ったりもします。