2020年8月5日水曜日

戦争と軍人

明日は広島原爆犠牲者慰霊の日、翌日は立秋で9日の長崎慰霊の日、ソ連の宣戦布告の日(何故か旧日本領土満州などの慰霊の日は無い)、そして15日には終戦の日がやってくる。今月は何かにつけ先の大戦を思わざるを得ない。あの戦争は何だったのだろうか?明治維新の頃の日本人は、欧米各国の横暴ぶりに対抗して国を守るには富国強兵政策をもって兵力(軍備)を蓄えなくてはいけないと思った。さもないと、隣の中国や蒙古や朝鮮のようになりかねないと思ったのだろう。

立案した政治家は殆どが下級武士階級の出身者だったと思うが、殆どが外国を回って日本が遅れている点を再確認して議会を作り商工農業者にもある程度選挙権を与え、法律を制定した。当時から社会主義者は居たと思うが、一応国民の総意で富国強兵に邁進したと思う。明治時代に専守防衛思想は無かったと思が、軍人は「お国のためなら地の果てまで行って」一命を捨てても家族や故郷を守るとの使命感が強いのが当たり前だったのだろう。

しかし大正時代になって世の中が豊かにになるにつれ、社会は格差も広がり、いろんな矛盾が吹き出したに違いない。軍の組織も肥大化して派閥めいたものが出来てくる。大正時代の陸海軍の人員がいかほどか知らぬが、1940年代に入ると予備役も入れれば優に500万人くらいは居たのではなかろうか。身体頑健で頭脳は優秀な連中が上部に居て指揮をしている。それに連なる中堅幹部も上部と同じ試練をくぐっているので優秀さは同じはず。

彼等から見ると政治家は馬鹿に見えたのだろう。段々軍部が発言力を増して国家の改造を唱え始め、昭和に至るとクーデターまがいの事件まで起こして政治の中核に腰を据えてしまった。ボケ老人の非常に単純な整理だが、1945年の敗戦に至った原因は、頭脳明晰で身体頑健な軍人が政治を壟断した結果だと思いたい。

軍隊の経験が無いので偉そうには言えぬが、今も昔も世界どこでも、軍人は頭が良くて思想堅固でも思考は何かが足りないように思う。平たく言えば政治には不向きなのではなかろうか。現代日本の場合は軍隊がなくて自衛隊ということになるので、軍人と言っても自衛隊員(防衛省職員全体が自衛隊員とも言えるそうだ)のどこまでが軍人と言えるか分かり難い。取り敢えず自衛隊の幹部養成学校卒業生とでもしておこう。

彼等は勉強を沢山してきているだろうから、政治家は彼等の意見をよく聞く必要はあるだろうが、よくよく分析の上、最終判断は政治家がすべきだ。

0 件のコメント: