長い巣ごもりが続いているので自分のことについて色々考える。昨晩友人数人との土曜日恒例リモート集会の中で一人の友人が「この1週間で自分の来し方を思い出して書き出してみた」と語った。ぜひ聞かせてほしかったが昨日はそこまでは行かなかった。その後、寝ながら考えると、俺も歴史を含め他人のことを詮索するのは好きだが、そろそろ己のことも少し整理してみるのも手かなと思い始めている。
気持ちははやっても先が見えにくい昨今、これから先出来ることはそう多くはあるまい。平凡であったかも知らぬが、80年の歴史の中で如何に過ごしてきたか思い返すのもいい暇つぶしになるかもしれぬ。と思い、果たして誕生以来未だに記憶に残る最初の事件を探ってみた。それは弟が誕生した時のこと。母が入院していた病院に1人で見舞に行ったことだ。この事件はその後父から何度も褒められた。
弟が3才違いなので昭和18年のことではないかと思われる。とすれば満3歳、少し出来過ぎかもしれない。その次は何ヶ月後になるかわからないが、父が南方への出征が決まり、母が1人で子供4人の面倒は負担が重すぎたのだろう、熊本市内を既に独り歩きした経験を持つ小生が長野の母の実家に引き取られることになった。実家から祖母が迎えに来て、祖母に手を引かれて玄関を出る時大泣きしたことを未だに覚えている。でも汽車に乗った時には泣き止んでいたはずだ。
翌日到着した長野駅から実家まで、祖母の膝に抱えられて乗った人力車と掛けられた赤い毛布(毛氈というべきかな)も明確な記憶となっている。何れにせよ、それから父の復員までの足掛け5年間に記憶に残っている出来事は数多い。「三つ子の魂百まで」と言われる通り、この期間の幼児体験が未だに思考に与えている影響は我ながら大なるものがあるように思う。ここに書いたことを別に項目立てて書き出したわけではないが、このように考え、ずっと近年まで思い返せばたしかに面白いかもしれぬ。
4 件のコメント:
ようやく梅雨が明けましたね。私もコロナの影響で自粛しております。娘が
東京からやってきてもう帰ったのですが、あと3日は家に籠っているところです。
せんかわさんの小さい頃のお話は祖母がよく聞かせてくれたので、懐かしく思いました。幼いながらに利発ですね。そして亡くなったまこちゃんのことも仲良し従兄弟だったので、たくさん思い出あります。お墓参りに行ってきますね。私は夢見る少女であんまり現実をとらえていなかったことを後悔しています。もっと勉強に励んでいたら少しはましな人間になったかしらと今頃思っても遅いのですが。
senkawa 爺 様
8月入りとともに信州にも灼熱の夏がやってきたようです。
人生ここまでくれば、自らの来し方を整理してみるのは大いにいいことのように
感じます。断捨離はモノだけではなく心にも必要かと思うこの頃ですが、
来し方の整理をすることは、意外に心の整理にもつながり、残された短い時間の過ごし方を
教えてくれるような気がするからです。
ブログアップありがとうございます。
コロナと猛暑に耐えて元気にいきましょう。
信州爺
私にとっての祖父母や父の知らない話はとても興味深く、色々思いながら拝見しております。続きを楽しみにしております。
村松光さん
いつもありがとうございます。
昔話もだんだん楽しくなってきましたね。
お互い歳をとったわけです。
信州爺さん
いつもありがとうございます。
断捨離は思い切ってしましたが、記憶の整理はまだしてません。
追々整理したいと思います。
姪さん
コメントをありがとうございます。
これから時々ご期待に答えられれば幸いです。
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