2020年7月29日水曜日

広告屋の仕事

現役時代の22歳から62歳までの40年間に広告会社4社を渡り歩いた。この間に企業や団体の広告宣伝並びに広報と、同時に政府機関の広報にも少し携わった。今になると広告宣伝に関してはあまり関心がない。広告宣伝は時代とともに訴求する商品やサービスも、訴求手段も大きく様変わりしていくので、関心がないと言うより15年以上経つと意味が分からなくなると言った方が正しいかもしれぬ。

一方の広報は、当時PR(パブリック・リレーションズ)とかPA(パブリック・アクセプタンス)と言ったりしていたが、現代はPAは使われなくなっているかもしれぬ。ともあれ広報は現代でもその意味は変わらず、むしろ重要性が益々高まっているように思われる。当時も今も広報で一番重要視すべきは「事実を伝え、嘘は絶対に許されない」ことだ。広告宣伝は消費意欲を刺激するために、商品をあらぬ場所に置いてみたり、芸能人に飲んだこともない薬を飲んだ振りをさせ、さも効いたようなことを言わせるのは日常茶飯事で、受け手もこれを許容してる。

従って、当時でも広告屋が広報を生業とするのは問題だった。従って、当時は電通でも広報に関しては電通PRなる別会社を作って事に当たらせようとしていた。しかし中小の広告屋が欲に目が眩んで広報と言いう禁断の実に口をつけてしまった。小生は大学を卒業する時にPR会社大手を受験して落とされた苦い経験があったので、内心してやったりとの思いで、その業務にのめり込んでいったものだ。

テレビ局なんかも最初はそれらしい手法に警戒感を示していたが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の例え通りとなり、大手広告会社も広報分野に積極参加し始めた。以来20年以上の歳月流れ、日本の広報業務を広告屋が引き受けるのが当たり前のようだ。広告屋は罪悪感無しに、息を吐くように嘘を言ってのける。もし今の政府が広報業務で広告屋を使っているとしたら問題だ。霞が関の中央官庁には必ず広報室があった。

しかしこれは所管官庁の記者クラブ対応が業務の主体だから、広告屋が目をつける予算は無い。今の内閣府昔の総理府広報室は僅かの宣伝予算があり、新聞、雑誌、放送の各メディアに公平に宣伝広告を分配していたので、メディア側も軽い気持ちで受け止めていたに違いない。担当は内閣副官房長官だったが、現在は知らない。しかし最近の報道によると、閣内に電通などの大手広告会社が出入りをして政治家諸氏に悪知恵を注射している雰囲気が濃厚だ。どう考えても政府広報のお手伝いとは言い難いだろう。国民からすれば最悪である。

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