2020年7月17日金曜日

怖い

外見からはそう見えないかもしれぬが子供の頃から根が臆病者、かなり大きくなっても夜中に一人でトイレに行けなかった。怖いものは沢山あったがお化けもその一つ。今最大の恐怖は新型コロナ菌、特に老人は気をつけろと言われるので都合はいいとして、社会の混乱ぶりも恐ろしく感じ始めている。この先どこかでハルマゲドン(世界の終わり)ではないがとんでもないことが起きそうに感じてならない。

ハルマゲドンなら諦めるしか無いので外国のことはおくとして、少なくとも日本にも想像を超えた何かが刻々と迫りつつあるように思えてならない。今この国を率いる政治家諸氏は元気な人が多いので、このコロナ菌に対する恐怖心を抱くことも無く、時間が掛かるにしても何れは収束できると思っているに違いない。確かに日本も過去様々なパンデミックを克服してきたことを思えば、それは正しいかもしれない。

そのように考えたいのだが、嘗てのパンデミックの中で最も身近に感じたのはエイズと記憶するが、今回のコロナ菌はそれ以上に身近に迫っていることだけは間違いない。しかも今回は罹患した場合死に至る可能性も高い。ある友人はもう死んでもいいじゃないかと言うが、年をとっても死が怖いのだ。政治家は何故この年寄の恐怖感を分かってくれないのだろう?長い目で見れば、先行き短い人間がこの先5年10年生きようと明日死のうと関係ないと言ってはいないが、考えの根本にあるだろう。

彼等の頭にあるのは日本という概念。これに個人の命も含まれるだろうが、それより法秩序とか経済とか言った概念の方が大きなシェアを占めている。しかし政治家の考え方にも微妙な差があって、日本をどのように進めていくか意見の集約が行われないのがまた怖い。強力なリーダーの不在だから仕方ないのだろう。首相を見ていると幕末に大阪から急遽江戸に逃げ帰った徳川慶喜とそっくりだ。

連日江戸城内で佐幕派諸侯の評議が開かれたそうだが、これは小田原評定の典型だったと後世の人は言っている。結果はご承知のように一旦大政奉還に決するが、結局勤皇派の思惑通りかどうか、戦争に巻き込まれてしまう。勤皇派をコロナ菌を例えるのは適切でないかもしれぬ。別の言い方に変えるとすれば、東北大震災時の福島第一発電所で発生した水素爆発だ。水素の危険性は、科学者が事故発生当初から指摘していたが、計測機器は機能せず、目に見えないので可能性の高まりを、一般社員や官僚も政治家も確認し得なかった。これと似てはいないか。

己の科学知識の低さもあるが、政権のバカさ加減には恐怖を覚え始めている。

0 件のコメント: