2020年7月8日水曜日

エンディングノート

このところ何か考えるのも面倒で、ただぼんやりと過ごしている。まさに食っちゃ寝の毎日で、こんなことではいけないとは思うが、だからといって考えても仕方ない。現在80歳3ヶ月、人生「100歳時代」と言う向きもあるが、これは間違いということだけははっきり言える。高名な医者の日野原先生という方は100才以上生きられたと記憶するが、非常に稀な例に過ぎない。

少なくとも個人的に知る限り、人間90歳を超えてあまり幸せだった人は知らない。生命保険会社が自社サービス売り込みのためにこのフレーズを持ち出すのは、広告屋の成れの果てだから許すとしても、政治的リーダーまで煽るのは如何ものかだ。むしろ加藤茶が宣伝しているどこかの葬儀屋が言うようにエンディングノートを勧める方が正解かもしれぬ。

誰でも同じかと思うが人生も80歳に至れば、その人の人生はあらかた終わったのと同じだ。過去は変えようが無いし、先行きに何かしようにも何も出来はしない。これまでしたいと思って出来なかったことをしてみたりするのが精々のことだ。そう考えれば、考えることも為すことも大いにあるかもしれぬ。
幸か不幸かその発想が湧いてこない。

若い時になりたいと思ったことは何だったのだろう?やってみたかった職業は言うのも恥ずかしいくらい沢山ある。いま小学6年生の孫は、もう大分前から電車の運転士になりたいと言って、未だにその考えは変わらないらしい。自分の若い頃と比べると見上げたものだが、果たしていつまで続くだろう?職業以外の趣味的なものでは、60歳代半ばからつい最近まで山歩きを趣味として、あちこちの山を歩いた。

それも最初から大それた目標が無かったので、既にお腹いっぱいの感がある。囲碁も趣味の一つ、強くはなりたいが才能の限界は感じ始めているので、さらなる高みをとは思わない。気が向いたら手合に応じてくれる人見つけて楽しむだけのこと。今でも高校同期生のグループメールには卒業時の7割以上が参加しているが、これから先の参加者は減ることは確かで増えること絶対無い。自分からサヨナラを告げる気持ちはないが、いつの時点かで友人が訃報を書いてくれるだろうう。その際には是非このブログを参考にしてほしい。これが我がエンディングノートに他ならない。

5 件のコメント:

村松 光 さんのコメント...

長野と岐阜に大雨特別警報が出されましたが、今は特別は解除になりました。
長野市はそれほど降らずにすみましたが、まだ梅雨前線は居座っているようです。
私は自分でエンディングノートを教会に提出してありますが、葬式は娘たちが
やるのですから、すべて自分の思い描いた通りになるかどうかわかりません。
今まで好きに生きてこれたことを感謝するのみです。
せんかわさんはお友達がたくさんいらっしゃるので、老後も安心ですね。

あやめ さんのコメント...

シニヤーナビナビから参りました「あやめ」と申します。せんかわさんエンデングノート読ませて頂きました。私も87歳一人暮らしの老婆です、閻魔様のお迎えが直ぐ傍に来ておりますが近頃は開き直りの精神で「成るようにしかならない」と思うよになりました

呑兵衛あな さんのコメント...

「明日こそは」と思うものの、ズルズルと生きてます。
しかし、武漢肺炎で突然という場面が増えました。
やらにゃ~まずいですね

信州爺 さんのコメント...

senkawa 爺 様

 ご同様な心境です。コロナのせいで今までやってきた世の中との関り方が
大いに変わりました。ちょうど80歳の区切りの時ですから残された時間も
考えて、生き様を変えてみたいと思っています。
どう変えるかはこれからですが。
とにかくこれまでの繰り返しからは変わってみたいです。

   信州爺

senkawa爺 さんのコメント...

村松光さん
いつもありがとうございます。
老後は何と言っても友人のありがたさが身にしみます。
仰るとおりですね。

あやめ さん
シニア・ナビからすっかりご無沙汰していますのに、態々コメント頂きありがとおうございます。
あやめさんのように私も開き直りたいと思います。

呑兵衛あな さん
いつもありがとうございます。

>やらにゃ~まずいですね
安倍政権の崩壊を見ないうちは死ぬわけにいきません。

信州爺さん
いつもありがとうございます。
私も偉そうに書きましたが、変わると変える思って相変わらずのようです。
お互いボチボチ行きましょう。