2013年12月13日金曜日

日本が右傾化かな?

朝食を食いながら昨日清水寺で書かれた今年の漢字「輪」の話になった。「あなたの漢字は何?」と聞かれてすかさず「沈」と答えた。煙と同じで馬鹿は高いところが好きなのに「沈」とはこれ如何にだ。自己分析すれば、やはり仕事が無くなり社会参加している実感が無いことが余程精神に響いているのだろう。
兎に角誰か他人の役に立つことをしていないと気が済まないとは、我ながら実に素晴らしい人格ではないか。

他人に道を聞かれて教えてあげる、駅の階段でベビーカーを持ってあげるとか、他人が喜ぶのを見ると、その日は気分が良くなる。じゃぁボランティアをすればいいじゃないか、とよく人から言われるが、どうもその気にはなれない。社会への参加=社会貢献は基本的に対価が伴わないと嫌なのだ。生まれと育ちのせいで根が賤しいのかな。

道筋の一寸した親切とか同窓会の幹事をするのとはわけが違う。勝手な理屈であまり賛同してくれる人がいるとも思えないが、共同募金の赤い羽根なんかも好きではない。少しお臍の曲がった爺が水底に沈んで潮流の流れを感じ、上を仰いで水面に波立ち騒ぐのを想像しながら書いているブログとご承知願いたい。

それにつけても最近思うのは今年1年、日本の潮流が大きく方向変換していることである。船乗り用語で言うところの「面舵一杯」急速に右側に舵を取ることであるが、何で急にこんなことになったのか。石原前都知事のように青嵐会なんて勇ましい名前のグループを立ち上げたような人達であれば分からぬでもないが、安倍首相、石破幹事長のようにお若い方たちが何でだろう、と藪から棒の思いである。

言ってみれば軍隊なんて目の当たりにしたことも無い人たちが、何故軍隊を持ちたいなんて思うのか。まさか軍事国家を目指す訳でもなかろうが、北朝鮮の親玉が軍事法廷での裁判を経て叔父を処刑したと今朝報道された。たまたまこの報道を聞いて思ったのは、やはり自衛隊は自衛隊のママが良いということ。実質軍隊なのだからどっちでも良いじゃないか、とも思ったりした時もある。しかし、軍と名がつくと必ず自衛隊法は軍法となり、やがて軍法裁判に結びつくことになるだろう。

今朝の会話も漢字に続いたのはこれだ。「安倍さんや石破さんたちも何を考えているか分からないけど、天に唾して北朝鮮の張成沢氏のようにならなければいいね。」「自分たちが作った法律で、自ら処刑された例は我が国の歴史でも珍しくないからな。」麻原彰晃が未だに獄中に生きている日本の司法制度が良いかどうかは別として、それとは別の司法が誕生しかねない方向に潮の流れが変わりつつあることを感じてしまう。

しかし一応民主主義国家なのだから、右に偏り過ぎればどこかの時点で軌道修正されると信じたい。それにつけても、安倍首相の喋ることが理解出来ていないのに無暗に燥ぐはしゃぐ子供のような口ぶりと、正反対に石破幹事長の上目遣いで人を食ったような馬鹿丁寧な喋り方、多分大人ぶっているつもりであろうには閉口する。

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