2012年5月31日木曜日

明日は明日

早ければこの週末にも東京が梅雨入りするそうだ。生活するには些か不便ではあるが、人間にとって水が極めて貴重な命綱であると同時に、作物を含む地上のあらゆる生物にとっても同様であるのは論を待たない。少々じめじめして気持ち悪いには我慢しなきゃならないだろう。小生も決して晴れ男とは言えず、山歩きで雨にたたられるのはしょっちゅうである。父と長女はもっと徹底した雨男に雨女だ。

亡き父はいつも鞄に折りたたみ傘を入れて持ち歩いていた。娘は出掛けると必ずと言っていいくらい雨が降るのだそうだ。「どこかで日照りが続いたら、娘を貸してやりたい。」が我が家定番の冗談。代わりに婆さんが晴れ女を自慢していて、傘を何十年も買ったことがないそうだ。これだけ科学技術が発達しても、天気予報は難しいらしい。先日も書いたばかりだが、むしろ今以上に予報が当たるのはあまり歓迎したくない。

それぞれが勝手に晴れ男だとか雨男だと思ったりしているから面白いので、何の根拠もないのに、そんなことがあり得る筈がない。自然界ばかりではなく人間社会でも、未来は兎に角何が起きるか分からない。未来に対して楽観的な人もいるし、どうしてもシビアに見てしまう人もいる。小生はどちらか言えば楽観派と言うべきか、いつも「何とかなるだろう」で生きてきたようだ。しかし、明日の事をこうなればいいなと予想または期待すると大体外れて、反対の目が出たように思う。

それでも、ここまで来たのだから良しとしなければ仕方あるまい。
昨日は政界の一寸先について思いを致したが、己の事を考えても全く同じだった。

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