2012年5月11日金曜日

「今、どんなお気持ちですか?」

メジャーリーグに行ったダルビッシュ投手の活躍は素晴らしい。野球にあまり関心を持たなかった小生でさえ、関連するテレビのスポーツ解説を何度も見てしまう。解説者によって説明の仕方はいろいろだが、彼のことを悪く言う人はいないので安心してみることが出来る。マリナーズのイチローは既に偶像的存在で、彼と同じチームでプレーしたいばかりにマリナーズに入団した選手もいるようだ。ダルビッシュも何れそんなカリスマ的存在になるかもしれない。

だが現在のところ、イチローへの挨拶やインタビューは初々しく、素直さに好感が持てる。先日初めて敗戦投手になった時のインタビューも「自分にとっては、ただ一つの負けですよ。」と淡々と答えていた。イチローみたいに成長してくれることを期待したい。迂遠な事から入ったが、今日書きたかったのは報道関係者のインタビューについてだ。何かと言えばタイトルに書いた文句がお定まりみたいになっているが、これが気に入らない。

スポーツ選手へのインタビューは許そうかと思うが、聞かれて本音を吐く選手はどのくらい居るかだ。感謝の言葉より「あ~ビールが飲みたい」とか「早く彼女のところに行きたい」が本音でも、そんな事が言える筈もない。でもスポーツ選手のインタビューは、決まり文句であったにしても腹は立たない。問題は、葬儀場にまで行ってする事件関係者へのインタビューと政治関係によく出てくる街頭インタビューだ。

何時如何なる場合でも、どこの馬の骨か分からに人間に対し、心で思っている事なんか軽々しく口にできますか?少なくとも小生には不可能だ。「小沢さんはこれで潔白になったと言えるでしょうか?」いきなり聞かれて「はい真っ白だと思います。これから大いに頑張ってほしいものです。」とカメラに応える小父さんや小母さんがいたら、その人は余程の小沢ファンだろう。実際はそれに近い発言も拾うのだから、テレビはやらせと言われても仕方がない。

多くの家庭では、テレビを娯楽の一種と位置づけ、ニュースや情報系の番組であっても多少の作為が入ることを許容する向きもあろう。しかし個人によって異なる「多少は許される」の「多少」概念は考えると怖い。嘗て長年番組制作に関わってきた経験から極言すると「テレビ報道は全てがある意味でのやらせ」と言っても差し支えない。ニュース報道でさえ、お定まりのインタビューの挿入で、事実の報道に見えても巧みに制作者の意思が視聴者に刷り込まれる。

活字の場合は視覚から脳に入った情報が一定の意味を持つには、結構複雑なプロセスが必要で、思考能力をある程度刺激するようだ。一方視覚聴覚の両方から同時はいってくる映像情報は、思考プロセス無しに脳みそに格納されるらしい。(うろ覚えだから、非科学的かもしれない事をお断りしておく)食いもの番組にタレントのクイズ番組満載の我が国のテレビ、加えて馬鹿の一つ覚えのインタビュー、せめてこの3つを排除したら良い娯楽メディアだ。

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