2017年5月30日火曜日

現在と戦前の違い

地方には駅が少ないし、態々コンビニに買いに出向くほどのものではないので大都市圏中心の媒体だと思うが、「日刊ゲンダイ」なる夕刊紙は安倍総理が目の敵にするほど面白い媒体である。毎朝パソコンで昨日掲載された主な記事を読むことができる。先ほど確認すると昨日のトップに下記の見出しが躍っている。
暗黒政治に文化人学者が一斉蜂起 「安倍おろし」の大合唱
 「権力者の我儘にひれ伏す国は早晩滅びる」

警鐘乱打はご尤もなことで、このように多くの文化人が声を上げて下さる限りそう簡単には日本も滅びないだろう。この記事中に取り上げられていた保阪正康氏は、年齢が殆ど同じと言うこともあり、昔から反戦主義を貫く作家なので尊敬もしファンの一人となってる。氏が言わんとするところはいつも言ってるように今の日本は<戦前の独裁政治と同じになりつつある>である。記事は続いて「肥大化した権力が立法と司法を従え、メディアも支配下に置けば、何が起きるか。権力者の胸三寸で政策が歪められる、捜査も報道も歪められる。」もその通りだ。

上記に反対するわけではないが、常々思っているのは戦前と現在の政治に関する大きな違いだ。何を言いたいか、政治家の資質の違いについて識者の的確な指摘を待ちたいのである。常識的市民から見て、現政府閣僚の知的水準が相当低いことは識者の指摘を待つまでも無い。日本語を知らないことなどは平成生まれの放送局のアナウサーにでも分かることである。問題はそこから先のところにある。

戦前生まれと言っても1940年では、<戦前>はこの世に存在しなかったかのような育てられ方をしたので、文献に頼らなくては戦前の様子を知る由もない。現在この世に生きている人の大部分は同じことで、現政府閣僚の馬鹿さ加減を見て、ひょっとすると戦前もこんな馬鹿な閣僚が沢山出現してしまったのか、なんて勘違いされているのではなかろうか。知識不足ではあるが、どうもそうとは思えない。

戦犯となり、自決した近衛公麿氏や裁判の結果死刑で亡くなった東条英機氏を筆頭にA級戦犯6人の軍人と1人の文官、他にも戦争犯罪人として罪を被った閣僚経験者は沢山いるが、誰一人現在の閣僚のように子供じみた者はいなかった筈で、ここに大きな違いがあると思う。しかし知的水準に大きな違いがありながら世界大戦に突っ込んだのも事実だから、政治家の知的水準は無視していいのか?国民の平均的知能水準がどう変化しているかは別にして、政治家のそれが低下しているとすれば問題だ。

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