当たり前のこと

改めて書くほどのことではないが、今後日本の経済が拡大し、その余禄が自分に回ってくるだろうと予想する人は極めて少数だろう。殆どの人は多かれ少なかれ倹約に勤め、少しでも余裕が出れば貯蓄方法に思いを巡らすはずだ。幸い我が世代はバブルも経験したし、年金も60歳から貰うことができた。年金は今後少しずつ目減りはするだろうが、あと数年生き延びても食い繋ぐことは可能だろう。

比較して考えると我が子や孫たちには若干の同情はするし、事実彼等も先を考えて少しの不安があるかもしれぬ。貯蓄もたいしてあるまい。しかし心配には及ばない。若い時に両親や先輩の大人たちから言われた教え「若い時の苦労は買ってでもしろ。」を思い出す。いま苦労の種は尽きないと思うが、次の言葉を噛みしめてほしい。「明日の100円より今日の10円」と「1円を笑う者は1円に泣く」である。手元の資金を大切にして、その中で生活をする。それで1円でも残ったら子孫のために貯金でもすればいい。世の儲け話は全て嘘。

あまりにチマチマとして褒められたものではないし、随分教えにも背いてきた。しかし今にして思うと、親から教わった処世訓の中でこの平凡な考えが一番貴重と言えるかもしれぬ。世の中には苦労の末に長者になる人も数多い。人並みなことをしていては人並み以上になれないかもしれぬが、何で人並み以上になる必要がある?同世代の人間に比べて少しくらいの貧乏は問題ではないし、今日明日取り敢えず食っていければ、経済的苦労は大した問題ではない。

いつの日か所帯を持って、狭いながらも楽しい我が家が出来ればそれが一番。後は家族たちが他人から後ろ指をさされることが無いように身を持すことに尽きる。強いて付け加えて、友人に恵まれることがあれば、それ以上のことは無いだろう。こんな爺臭いこと書いたきっかけは次の記事である。

『少子高齢化社会では「虎の子」となる年金基金を、鉄火場の株式市場に平気でつぎ込む。人口減対策はソコソコに「高度成長期よ、もう一度」とばかり、東京五輪開催費や万博誘致になけなしの血税を投入する。思想家の内田樹氏は3日付の神奈川新聞のインタビューで、こう嘆いていた。

〈後退戦局面で、「起死回生の突撃」のような無謀な作戦を言い立てる人たちについてゆくことは自殺行為である。残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発逆転」の夢を見ている。五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである〉』

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